Twitter等で見かける「拡散希望」に付いての疑問

たま〜に、Twitterなどのミニコメントサービスで「拡散希望」と付記されたものを見かけることがあります。
要するに、広く知れ渡って欲しい重要な情報だから、みんな、遠慮なく広めてください、ということなのですが……。
この付記に、私は以前から疑問を持っていまして。


情報、というのはそれ自体が既に、勝手に広まる性質を持っています。情報の源流をたどると、それこそ文字の発明、さらに言語の発生といったところまでたどれてしまうのですが、その原始の時点で最初から「広まる」「伝わる」という性質を備えていました。
たとえば、アリ。虫のアリですが、あの生命体も美味しいものの在処という情報をみんなに伝えて、ゾロゾロと群れを組んで、分担して砂糖粒を巣に持って帰っている訳です。


それから、情報を広めるには、無理をしなくていいと思います。
有意義な情報であれば、放っておいても多くのヒトが知りたがることにより、勝手に拡散されるからです。良い例が、はてなブックマークなど情報に評価をつけていくサービスですね。
商品やサービスの宣伝のために「拡散希望」を付けることもあるようですが、それならなおのこと、より高品位な商品・サービスを提供するのが先決。良い商品であれば、それなりに売れるでしょうし、そもそもそんな付記をしてまで売り込む必要はありません。逆に、そうした無理な売り込み方で品のなさを感じてしまわれたら、消費者に対するイメージダウンになりかねないのではないでしょうか。


さらに、無理に広めようとして広めた情報は、拡散を止めることが出来ず、チェーンメール同様のノイズ化する可能性も否定できません。
チェーンメールは情報の正確さや価値に関わらず、決して広めてはいけないのはネチケットの一つです。その情報が誤っていたりしても最終的な受け手に訂正が伝わるとは限りませんし、その情報によって何らかの被害や誤解等が生まれても、転送者が責任を取れないから。


必要な情報は可能な限り一次情報を確かめる。これは、この情報化社会を生きる為の必須スキルです。
冗談ではなく、この時代、情報でヒトは生きもし、また死ぬ可能性もあります。
チェーンメールや「拡散希望」ツィートは、その辺りで正確さを欠いてしまいがちです。


最初にそれを誰が言い出したの? それは正しいの?


こういうことを考えながらWebを使うこと。
それは、この時代に生きる親から子へ正しく伝えられなくてはいけないのではないかなあ。
そもそも、こうした堅実さを親が実践しているのかなあ。


ちょっと友人と話していてつくづくと思ったことなのですが。
いろいろと心配になってしまったのでした。