得意なことをまずしていくことが結構大事

快楽の意味ではなく、知的好奇心的な意味だけれど。楽しいとか得意とかって大事だなあと。自分が楽しめることがいかにキャッシュ(現金)に出来るか、ということを見極めるみたいなことが重要だと最近思えてきた。
パソコンが好きだからITサポーターの仕事をさせていただいている。
強みは一応CG関係。
そういうちっぽけな自分をベースに考えてみる。


日本だと、教育の割と序中盤の段階で、基本5教科(国数理社+英語)をある程度こなせる地頭の良さが求められる。公立高校入試ではそうだったし。さらに国公立大学に入るとしたら、センター試験程度は9割クリアできないと、とかあって。
でも、やっぱり、そういう公教育教科の狭い選択肢の中でも、それなりに得意不得意は会って当たり前で(人間だもの)。
どっかが突出して得意みたいな人はやっていきにくい。さらに、就職で有利な学歴を得るには、やっぱりそういう地頭の良さは事実上求められていたりする。
でも、そういう平均的に良くできる人を集めて日本株式会社を運営していたから、今の経済危機がある……というのがあるんじゃないかなあと。


ある分野に突出した人をいろいろ集めて、ゼネラリストではなくスペシャリストな知恵を結集してやっていかないと、これからって立ち行かない気がするんだよな。
スペシャリストな人って、そのスペシャルな分野をやっていてとても楽しいと思っている。というか、楽しくないと続かない気がする。
ピアノやバイオリンでプロになる人って、一日に10時間以上練習したりするらしいけど……実際、うちの母校の大学(芸術系、美術+音楽の専門や総合コース制だった)でも、ピアノの練習音がしない日は無かったし、音大とかだともっとすごかったんじゃないかと思うけど。
ピアノって、練習すればするほどすごい楽器で……やればやるだけ奥が深いからこそ、世界中の人が極めようとしている訳で。実際、ピアノはやってなかったけどトロンボーンの練習もやっていて飽きなかった。体力切れは良くしたけど。練習するだけ、還ってくるものが色々あって面白かったな。


そういうのを、就職する人を選ぶ側の人がうまく選んで編成していかないと、10年後を見越した採用や募集をしていかないと、あるいは、国の政策とかでもそういうことをしないと。
中途半端なゼネラリストが常識的な判断だけでやっていった結果が、今の日本。右往左往するだけの震災対策とか……。1年経ってもまだがれきの山。というか、がれき片付け政策がまったく見通しが立たないというのはやっぱり行政や政治が不健全というか、機能不全や動脈硬化みたいな感じが。


今の日本をもしもみんながどうでも良いとか思っていたら、ほんとうにどうにもならなくなってしまう。あきらめてしまったりしたら、本当にどうにもならないだろう。


あるところで慣例をぶっちぎる決断も時には必要。本当に大事なのは何? 慣例ではなく現実の改善でしょうと。
そういうことをやっていくには、小さな市民一人一人が、自分の得意なことを社会に提供するようなことが重要な気がする。


まとまらないけど……。