次の人が引き継げること

属人的な仕事と、次の人が引き継げることって違うんだよなァ。
なんの話かというと、とある会社のとあるシステムを構築した社内SEさんが退職したので、次世代システム構築を最初から作るように見積もってもらうと15億円かかるっていう話…。
詳しくは下記。
https://togetter.com/li/1353521
5000万円の見込みでいた発注元会社さんはびっくりしただろうけど、この元のSEさんを1億円で呼び戻した方が安い! っていうのは合理的な意見だと思う。
ただ、会社って、優秀なエンジニアとかクリエーターがいたとしてその人が辞めたら倒れちゃうとかでは本当はダメで、他の人でも回せるように上の人が考えてあげないといけないだろう。交通事故なんて日常茶飯事なんだし。そのSEさんに何かがあったら会社が止まっちゃうってことになりかねない訳で。
こんなことを考えるようになったのは、自分的には実は『はてな』の近藤さんの影響だったりする。いつだったかのはてなダイアリーの記事(かな?)で、自分がいなくても会社は回るように組織を考えないといけない、みたいな話を書いていらして。一理あるなぁと。
あの記事を読んでから、仕事の上ではともかくソースとか根拠、手がかりを残すように気をつけるようにした。正直、仕事の記録を書くのにその辺りをスルーした場合の倍の時間がかかるんだけど、あとで検索した時に圧倒的に楽なので、このやり方は自分に合っていると思う。まあ、他の人が読む時には長文になっちゃって申し訳ないけど。
ただ、まあ、自分はSEはSEでもシステムエンジニアじゃなくてサポートエンジニアの方だからなぁ。また仕事の仕方が違うんだろうなぁ。そのシステムエンジニアの皆さんは本当にすごいと思う。そのひとにしか出来ない技的なところは、どうしても出てきてしまうのかもしれないな。
この話で思い出したこと。
ここ数年、何となく手塚治虫先生の伝記的な漫画をアレコレと読んでいるんだけど、先生のような超天才が超情熱的に仕事をしたら、あれだけの作品数になるんだなぁと驚くばかりだ。
ただ、漫画やアニメの技術やシステムについてはともかくとしても、クリエイティブな面について、先生と同じことができるひとは流石にいなかった。
手塚作品は先生の天才性に多分に依拠していたから『蒼いブリンク』みたいに途中からをなんとか引き継いで完成させることはできても、手塚治虫亡き後に手塚先生の新作というのは流石に無理だった。*1
こういうのは引き継げること、引き継げないこと、何かしらでてくるものなんだ。
で。ふと思ったのは。
身の回りに誰かしら、この分野については天才あるいは秀才的にすごい、というひとが、なにかしらいないだろうか?
別にジャンルはなんでもいい。家事全般……いわゆるおふくろの味みたいなものとか、趣味で絵を描いているとか、もちろん仕事能力がすごい上司や部下、同僚がいるとか、何でも良い。自分自身が他人より秀でている自覚があるというものでもいい。
そういう人のすごさは、何でもいいから記録にとっておくべきだと思う。テクニックなのかクリエイティブなのか、ロジックなのかそれぞれ色々だろうけれど。
世の中、スマホやらなにやらで、記録手段には事欠かない。
もちろん、web公開して良いかどうかは慎重な判断が必要だし、web公開が必ずしも良いこととは限らないが、私家版でもいいから客観的なデータがあることと、まったくの記憶の中にしか記録がないのとでは、やはり雲泥の差だ。その技が自分や他の人が実際に再現できるかは別だが、どんな技だったのか、記録がなければ引き継ぎもへったくれもない。もし、その記録さえあれば、それこそ人類にとって実は億千万の価値があったのかもしれないのだ。
ともあれ、最初の話のSEさんには、本当に幸あれと願う。その方がきちんと評価のされる良い職場に巡り会えますように。

*1:先生が亡くなられてから10年くらいして日本のインターネットが本格的に普及するんだけれど、もしも手塚治虫プロデュースのホームページなり、Flashなり、YoutubeやPixivなりがあったらどんなんだったのかな、と、本当に思う。あのあとの日本はこんなにクリエイティブ大国になるのに、先生は亡くなられるのが早すぎた…。