組み合わせが創造でもある時代に

ちょっと思いついたことがあって、Adobe AIRとかAJaxとかの事を調べていた。
何か作るとかそういうほどでもないのだけれど、仮にやるとしたらどうなのかなあ、という下調べ。


で、まあ、技術的ないろいろについて書けるようなところまでは調べていないんだけど。
マッシュアップとか、要するにパーツを作る人がいて、組み合わせる人がいて、そういう……あるアイデアをある程度の形にするまでの時間的距離が、どんどん短くなってきているのかなあって思ったりした。


この漠然とした感じは、大学時代にMacromediaのDirectorでインタラクティブコンテンツを作るのが面倒で、でもFlashを勉強できる環境でもなかったから、今は亡きTribeworksのiShell 2で卒業制作を作ったときのあの感じに似ている。パーツを組み合わせるだけでアプリケーションとかコンテンツが作れる。しかも個人ユースはフリー(無料)であり、リバティ(自由)でもあった。
たぶん、Tribeworksは時代を先取りしすぎちゃったんだろうな。今の時代だったら教育業界でのかつてのBASIC言語のような地位を占められた可能性が非常に高いのだけれど。教育の場でのコンピューティングやコンテンツ制作の必要性は、当時はまだまだ未成熟だった。今はその辺のことをAppleやID for Weblifeあたりがやっていそうな感じがするんだよな。


ま、ともかく、いろいろとパッケージングされて、アイデアに合わせて組み合わせればそれなりのものが作れる時代ではあるわけだ。創造性というのが、ゼロから構築することだけではなく、物事の本質を見抜いて適切なパーツを選び組み合わせる能力でも発揮できるというような、そんな時代に私たちは生きている。


こういう時代の著作権問題とか、パクリとかって、どうなんだろう。
高速道路理論じゃないけど、将棋でもなんでも、棋譜とか資料、対戦場所はWeb上にあるから、そこそこ程度のレベルまでは上達できるらしい……頭脳系スキルの競技は。
公開されているもの=他者がすぐにまねをしちゃうもの、になっていて、まねられて当たり前。
公開するまでの試行錯誤までは、だれも真似をしない。ただ、結果だけを持ってかえり、新しい形に変えて出してきたりする。それをこちら側がまねしてみたり。


オリジナルを作ったからって声高に叫ぶ時代は、終わりつつあるのかもしれない。
ダウンロード違法化の流れは止められそうにないけれど、時代の流れとしては作品公開=次の創作のリソース、みたいなことが当たり前になっている。そして、公開されたものを利用するからこそ、公開者が尊重されるような。鑑賞だけではなく次の制作をもみんながする時代に、著作権法というものそのものが、時代に合わなくなっているんじゃないかって思えてきた。


時代は法律をかえる。著作権絶対主義は時代を止めてしまったりしないだろうか。
もちろん、創作者は尊重されてしかるべきだと思うのだけれど。収益もそれであげているのだし。
著作権侵害がいいとは言わないが、なにかあのダウンロード違法化の議論には違和感があったと思うのだった。


……でも、だ。
オリジナルを創ることそのものの出来るパワーが細っていっているとしたら。
それは非常に怖いことなのだけれど……。


……手塚治虫さんがディズニーの影響を受けた、とはいえ、彼には確固たるオリジナリティがあったし、映画的な要素を漫画に落としこめる力は、単純なアレンジビリティともいえないだろうし。


先に出ている作品を利用することで、その作品のすごいところを学んで、自分でもオリジナルを創れるようになれればいいんだけれどな。
今は亜流が大量生産されている気がする。いつか本物が出てきて欲しいな。