NHKがイタコさんをやってしまった…

いやはや。
録画していた「美空ひばりさんをAIによって蘇らせる試み」という題材のNHKの無理難題番組で、色々と考えこんでしまいました。
あの新曲は良い曲だと思います。
そして歌声の出来も、かなり「川の流れのように」の美空ひばりさんに近いものを感じました。AIボカロは時空を超えうる、とは思ったのです。
少しばかり惜しい、と、思ったのは、曲の前半の細かい動きが続くパート。ここの処理にもう少し人間らしい、ひばりさんらしいゆらぎと響きが欲しかった。ちょっと歌い急いでいる感じがあって、ここまでできるなら、多分もう少しチューニングすればもっとうまく歌えるはず。
しかし、それでも、サビや後半の歌い上げるパートはうまいという…。
語りも良かったと思います。とくに、美空ひばりさんと一緒に歩いてきた世代の方々には、何かしら響くものがあったのではないでしょうか。
人間らしい発声にかなり近くて、これが機械音声だとはとても思えず。
正直なところ、歌詞についてはある種、あざといって思ってしまいました。こういう歌を本当に聞きたいっていうか。語りはなおさらで。秋元康氏、怖いなぁ。AKBを作ったのは伊達じゃなかった。
CGに関しては、少しまだ不気味の谷を超え切れてはいないかなぁと。頬と目の表情が少し硬いのかも。あと、メイクかな。もう少し赤みを入れて柔らかい印象にした方が。
で、個人的な興味は、この曲をさらにブラッシュアップして、紅白歌合戦に持ち込んでくるんじゃないか? という。というか、紅白のプロデューサーが見逃さない気がします。ヤマハさん的にもものすごい宣伝になりますし、多分、企業利益的な意味で反対する人はいないでしょう。2019年の年末は、昭和の頃のひばりさんがいた紅白歌合戦が帰ってくる…と、年単位で企画されていて、実はこの番組はその前フリだったのではないか? 完全に直感と憶測ですけど。
正直、ものすごく複雑なものを感じます。
自分はひばりさんのファンのターゲット世代から少しあとなのですが、それでも『川の流れのように』は知ってますし、歌の下手さを置いておけばカラオケで歌詞を目隠ししてもフルで一応は歌えると思います。というか、トロンボーンでなら音を追えると思う。吹いたことないけど。
ともかく、少しくらいの世代ズレなんぞものともしない、ものすごい伝達感のある名歌手だったのは確かです。日本の誇るマイスタージンガーなのは間違いない。
で、それくらいの人だと、ファン的にも思い出は色々とあると思うんですよ。世代ストライクの方々にしてみたら。
そこに、機械音声での『新曲』が入ってくる。しかも、まだ若干の改善の余地はありましたが、かなりのレベルで似ていました。ものすごくひばりさんでした。正直、いい曲だと思いましたし感動させられた。
でも、この感動とは、どこからきたものなのか?
この曲をどう受け止めればよいのか。ご本人の新曲ではないのに。
変なふうに思い出の上書き保存がされそうで怖い。
あと、音楽の著作権。AI歌唱の著作権をどう処理するのか、とかの法的側面も気になりますね。やたらめったら本人ではない曲が乱造されるような事態は避けないといけないでしょう。
この辺り、考えている方はやっぱりおられるようです。下記によれば「AI生成物は著作物ではない」というのが日本では一応の通説みたいですが、それでいいのかどうか。AIひばりさんの感動とか考えてしまうと。

ともあれ、今回はボーカルでしたが、ここまでやれるなら声優さんはAIで代行できそうです。すぐ思いつくのはドラえもん。旧ドラえもんには膨大な音源があります。もしもあのドラ声AIができてしまったら、今の新ドラのみなさんはどうなりますか。
ルパン3世とかもそうですね。
もしも、AIが引き継げるようになると、伝統的な作品を若手が引き継ぎ、温故知新、新しいものにする、という、文化の側面がなくなってしまいかねないです。
能や歌舞伎などでも、何代目なんとか、みたいに、襲名として名前を引き継ぎます。名に恥じない伝統的な表現をしつつも、時代に応じて、自分なりに新しい表現を加えていく。だから古典芸能とはいえ、古くならないんです。AIがそうした場に参加したら、新しい表現って作れるのかどうか。もう、ほんとにどうなるのかわからない。落語で昔亡くなられた噺家による現代の新作落語をやるなんかはできてしまうかもしれない。あるいは、オードリー・ヘップバーン主演の新作ロマンチック映画とか。
今回は歌でしたからまだ平和でよいのですが、番組にあったように、こうした擬似人間を創るAIがフェイクニュースに使われないか、とかも懸念されます。
例えば、歴史的な独裁者の復活とか、民衆を悪い方向に扇動したかつての政治的または宗教的なリーダーたちが、あのころの調子そのままの演説やパフォーマンスをぶち上げ、人間を超えたカリスマ性を発揮したらどうなるでしょうか。地下鉄サリン事件の再来みたいなことはあり得ないでしょうか? それは絶対に嫌です。
そう考えると、人が亡くなるとはどういうことなのか、考えこんでしまいます。
偉人の技術や感性がいつまでも残り、そちらの方が良いということになると、新しい人たちが世に出てこられなくなるかもしれない。故人を再現するAIはまさにパンドラの箱です。そこに希望はあるのかどうか。
そういえば、手塚治虫先生は亡くなられるギリギリまでペンをにぎり、仕事をさせてほしいと訴えていたそうですが。先ごろ、手塚治虫先生のAIを構築し、『新作』を執筆中という報道もありました。

絵に関しては、かなりのレベルのものを作る気がします。話とか効果、コマ割りとかはどうなんでしょう。
ともあれ、今、ご存命の名歌手のみなさん、名優のみなさんらに聞いてみたいですね。彼ら彼女らのファンの人にも。自分はAIとなってでも、死んでからも表現したいですか? と。あるいは推しには機械になってでも永遠に表現し続けてほしいですか、と。
個人的には、限りがある人生だから、精一杯に表現するものではないか、と思うのですが…本物って、なんなんでしょうね。
『人生って、不思議なものですね』とは、美空ひばりさんのうた(愛燦燦)の名フレーズです。まさか、彼女もAIになるとは思っていなかったのでは。