進撃の巨人、最終回

アニメ版の『進撃の巨人』最終回を見届けました。
原作は何度も読破していますけど。いやあ、凄まじい話だった…。
以下、ネタバレ全開で。
エレンは『地鳴らし』発動の結果、全人類の8割を殺害。
大変ショックな数字でした。
全世界から絶対に許されるわけがない極悪人になってしまったエレン。しかしここまでやってしまえば、外の世界は弱体化するからこれ以上の戦争は当面は回避できるはずだという。
そしてアルミンたちはそのパラディ島出身者でありながら世界側を救ったので英雄になれるだろう、という。 …。
しかし、そうカンタンにはいかなかった。
パラディ島は軍を組織し、外の世界からの報復を恐れて武装を強化してしまいました。無理もないけど。
アルミン達は海外連合国からの和平使節団として、パラディ島に里帰りすることに。
世界の英雄というか、かなり微妙な立場です。板挟み…というか。
でも、アルミンならきっとなんとかしてくれるでしょう。今や世界の憲兵となった(?)アニも付いていてくれることですし。
つい熱くなりがちな最後の調査兵団員たちだけでなく、ぐっと冷静に世界を見られるピークさんもいますから。
先日、『沈黙の艦隊』の映画版も見たんですけど、つくづくと思うんですよ。
国家の戦力って、国外勢力に対する不信感そのものなのでは? と。
侵略する意図がなくても。
特に、核兵器などの大量破壊兵器を擁するようになれば……それは、その国は外の世界をまったく信じていないと表明したようなものです。
パラディ島は海外からの報復を恐れ、武装してしまった。
極めて強固に。
もしかしたら壁の巨人がいた頃よりも厄介な武装かもしれません。
しかし、アルミンは天と地の戦いの直後マーレ兵に囲まれた中で、巨人の力を失い戦う意味のない『ヒト』に戻れたことを一瞬の思考で証明してみせました。
極めてロジカルに。
自分たちに巨人の力がまだあれば、変身して戦ったはずだからと。
彼は、自分たちに武力がもうないことで、平和を勝ち取ったのです。
しかしそのためには、マーレ兵側がアルミンたちを信じてくれなければなしえなかった。
あの「今、この場で証明してくれ!」は、もう戦いたくないのにこの場では銃口を向けなくてはならない立場の苦しさを物語っているものでした。
どんな無茶な戦いをクリアしてくれた勇者達なのか、よく知っていたから。
さて、戦いの後の流れが、原作とアニメで少し違っていたようです。
アルミンたちが和平のための使節団として帰郷する流れは同じです。
しかし、原作ではリヴァイはファルコ、ガビ、オニャンコポンと共に街で暮らしていたのですが。
リヴァイは、外の世界で難民のために働くボランティアになったような描写がありました。飴を子どもたちに配ってましたね。人類最強のボランティア! 彼なら警備と掃除までお任せです! 
イェレナとオニャンコポンも難民キャンプで資材運びをしていました(野球用具の描写が泣ける…)。
ファルコとガビも一緒なようで、樹を植えていましたね…。未来は君たちの手にありますよ。
このアニメオリジナルのラストは大変よかった。
たしか、ミカサがパラディ島でエレンの墓守りをしているところで雑誌掲載時は終わっていましたが。
コミックスではさらにエレンの墓の樹のあたりでミカサの結婚、老後、葬儀、さらに先の世界での世界戦争。
そして辺りは樹に囲まれた森に包まれ、犬を連れた少年が大樹のウロを覗き込む描写が加筆されました。
この流れはアニメでも踏襲されました。
なので、雑誌でのみ読んでいた人は大幅なストーリー追加に驚いたかもしれませんね。
もし、あの樹のウロに例の原初生命体がいたとしたら……。また、巨人が生まれてしまうのかもしれません。ヒトが望むと望まざるとに関わらず。
さて。
進撃の巨人はここまで。
まさか、読者目線でヒーローだと思っていたエレンが、最後には世界の敵となり、親友たちに自分が倒されることを望む破滅の王にまでなってしまうとは、コミックス1巻目を読んだ時は思いませんでした。
そして本当は生きていきたかったことも。
多分、アニメオリジナルの追加セリフだと思いますが、彼はこんなバカが世界を滅ぼす力を持ってはいけなかったと自戒していました。この掘り下げが素晴らしかった。原作者さんの手によるセリフ追加らしいですが、これはライナーが「始祖の巨人の力を世界で一番持ってはいけないのはエレンだ」というようなことを中盤で言っていたことと重なります。
しかし、自分はバカだ、とはいいつつも、変えられないと知っている破滅的未来を少しでも良い方向に向けるために、ヒストリアにもメッセージを伝えていました。そしてパラディ島の仲間たちには長生きしろとも。彼は彼なりに必死だった。
それからもうひとつ。
ジークの指摘から。
生命は増える性質があるから、なんとか増えようとして必死に戦っている。その過程で早い死も起きる。
何しろ、知性巨人化能力者の寿命は、チカラを得てから13年でしたから。またいうまでもなく戦争ではたくさんの人が死んでしまいます。生きるために死んでしまうのです。
この根源的な矛盾。
冒険王ビィト』にありましたが、自分たち人間はすぐに死ぬからいつでも必死なんだと。
同じことを『ダイの大冒険』のポップも「閃光のように眩しく生き抜いてやる!」と大魔王にタンカを切っていました。
人類はすぐ死ぬからこそ、必死に生きて。
人類はすぐ死ぬからこそ、増えようとする。
少年漫画で指摘されたこのことは、世界のありようの原点かもしれません。
平和ってやつがカンタンに生まれないわけですよ。根源的な話、人類は敵と戦わざるを得ない存在だから。
でも、そこで拳を下ろして、かつての敵を信用し、握手を交わすことができるのも、また人類です。
現実の戦後日本はその国内平和を得るために、アメリカの力を借りつつも、世界を信じ、世界に信じてもらうという手段を取りました。アメリカは、かつての敵国なのはいうまでもありません。しかし、理想を言えば、さらにそのアメリカの敵国とも信じ合えるようになるのが本当は必要だと思うのです。
今、世界大戦の前のような世界になりつつあって心配ですが。
握り拳を自ら開く勇気が世界を守ると感じています。
自国を守るには握り拳が必要ですが。いつかどちらかが消耗しきります。
どんなボクサーでも、3分間×12回戦は戦えても、3分間×120000回戦はとても戦えないでしょう。そして残るのはどちらかの、あるいは双方の骸です。
自国と敵国をも守るためには、手を啓(ひら)くことになる、そう思います。
アルミンなら、あの時点で、世界の手のひらを啓くことがきっとできた……と、信じたいです。
それが恒久的なものに至らなかったとしても。
彼ら亡き後は元の木阿弥だったとしても。
意味はあったはずなのです。