昔のRPGのテキストで

昔の、と言ってもせいぜいファミコン時代の話。
ファミコンゲームは当初の何年かはシューティングやアクションゲームが中心だった。
ポートピア連続殺人事件とかドラクエとかで、文章で話が進むRPGAVGが出てきてから、ストーリー性のあるゲームというのが増えていく。
(やっぱり、堀井雄二さんや中村光一さんって発明家だと思うんだよな。あの、コマンド選択式を思いついたのは大きい。ファミコンにキーボードはないもんね)
ストーリーを楽しむ、とはいえ、当時はグラフィックがしょぼいので、絵に描けない部分を文章で補うことになる。
でも、やっぱり、ゲーム世界という非日常を日常の日本語に落とし込むのは無理があるわけで。
「おお◯◯! しんでしまうとは ふがいない!」とか、よく考えたらとんでもない日本語。当時はなんとなく納得するしかなかったが。
こういう、ゲーム日本語みたいなのって今思い出すとなんだかオモシロい。
「ナカジマは にげだした! ナカジマは ………こけた!」とか、何やってんのナカジマってなったし。「アクマをころしてへいきなの?」って、痛い皮肉だ。そこを悩んでいたらレベル上がらないけどさ。
「◯かいヒット! ◯ダメージ!」とかは、ナレーターの人いちいち数えてるのかなって今だと思うし。
「ふくを とれ」って、今だとよく考えたらコンプライアンス問題になりそう。
この種のツッコミを大量に入れたくなるのがMOTHER。あれはもう日本語がすべて。いいバットはともかくすごいバットってなんだよ。
大事なものを捨てる時、「それをすてるなんて とんでもない!」って警告してくれるシステム、リアルにほしいって思うことはある。
野菜を食べて体力を回復するヘラクレスとかもなんだかなー。
ただ、今のゲームよりもある種の自由もあった気もする。どうせ絵には描けないんだから、って、プレイヤーの想像力に丸投げ。だから、その分の思い出は8ビットの枠にはおさまらなかった。
数メガビットの世界の中で救世主になった、かつての勇者たち。
当時の気持ちは今はもう体験できないんじゃないかと思う。
ゲームの中では、アレフガルドの勇者になったし、奈良県飛鳥地方も救ったし、クリスタルに光を取り戻した。
だが、すまない、あのギリシアは救えなかった…難しすぎて。彼にとこしえの栄光あらんことを。