中学社会科公民の再履修の勧め

新型コロナウイルス騒動。
今、日本の政治が問われていると思う。
でも、そもそも論。
中学社会科の公民分野を今テストしたら答えられるだろうか?
と、思ってしまったので、適当なページを探してみた。

ここの【空欄】バージョン。

書けなかったなあ。
高校入試の頃なら全埋めできたと思うけど。
ちょっとショック。
まあ、勉強は必要があって、したいときにすればよいかと思う。
今こそ、中学時代より、いろいろ必要。
公民、日本史、世界史、経済、地理、化学、生物、数学、国語、英語。
全部、中学レベルこそを再履修したほうが良いって思った。
新型コロナウイルス騒動の話って、この辺のことが、いろいろ込み入っているように見える。
中学時代は、どうしても、とある公立の超進学校にて吹奏楽をやりたかったから勉強したけど(受かった、行った、楽しかった)。
今は、より良く生きるためにこそ。

ピコ太郎さんの新作

あの、PPAPの『ピコ太郎』さんがPPAPでハンドウォッシュソングを作ったそう。
二番煎じといえばそうだけど、本人による替え歌として成立してるし、ちゃんと手の動かし方をおさえていると思う。
これがなんでPPAPなのかも納得した。子どもたちが少しでも楽しく手を洗ってくれたらいい感じで。まあ、大人もね。
ちなみに、手洗いするとき、洗面所など鏡のあるところだったら、下を向いてないで鏡の方の手元を見た方が、手がキレイになる気がしている。
https://youtu.be/WKfolJv6Kx8

ラ・フォル・ジュルネ中止とな!

新型コロナウイルスのせいで、ゴールデンウィークの有楽町をクラシック音楽でジャックしまくる『ラフォルジュルネ』が中止になってしまったそうです。
近年は吹奏楽や珍しい編成の音楽も聴けるようにもなってきていたのですが、残念です。
こうした機会に生演奏に触れられる、アマチュアや音大生にも演奏機会がある、ゼロ歳児からでも子どもが生オケ演奏を聴ける、託児所もある、楽器に触れるブースもある、屋台ご飯も美味しい、グッズも可愛い、CDコーナー充実、と、至れり尽くせりだったんですけどねぇ。確かに新型コロナウイルスの感染力を考えたら、やれないと判断されたのは無理ありません。GWの有楽町をクラスター発生場所にするわけにはいかないので。
下記にて、まだプログラムは公開されていました。
https://www.lfj.jp/lfj_2020/guide/
まぼろしに浸ること、しばし。
今年はベートーヴェンがテーマだったようですが、やっぱりまずは第九が多し。それに、今年もシエナウインドオーケストラが参加予定だったみたいですが、意外なナンバー、トルコ行進曲をチョイスしていました。メジャー過ぎて逆にちゃんとコンサートで聴く機会ってないかもしれませんね。また、ピアノ関係がかなり充実しているのも、今年の特徴だったのでしょう。日本ではピアノを習い事でやったことがある人は男女問わず多いのです。実現したら、盛り上がっただろうなぁ。
かえすがえすも残念無念。素晴らしい音をたくさん届けていただきたかったです。
2021年は開催していただけると信じています。厳しい状況ですが、きっと。

志村けんさんの訃報…

新型コロナウイルスは本当に怖いですね。上記報道より。

  • 3月17日にけん怠感などの症状で入院
    • 診断は重度の肺炎
  • 25日に所属事務所が新型コロナウイルスへの感染を公表
  • 29日夜、東京都内の病院で亡くなった

体調を崩されて入院してから2週間もしないで亡くなったようです。進行が早い。
彼は、自分が小学生のころのお茶の間のスターでした。笑いのために体を張る。滑って転んでセットの緑色の池に落ちる! セットの壁が崩れる! 上から白い粉まみれ! ついでに金だらいがなぜか落ちてくる!
あれはひとつの時代でした。テレビの幸せな時代でした。
新型コロナでも「だーいじょぶだぁ!」っていってくれると思っていたのになぁ。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
子どもの頃、散々、散々家族で笑わせてもらった身としては、あのバカ殿様の笑顔を覚えていようと……せめてもの供養に。

自分で考えよう

新型コロナウイルス対策。
色んなことがいわれていますが、自分のアタマで考えて行動するのが大事だ、思うようになりました。
例えば、3月の3連休の前のころ。外出禁止的な警告が出ておらず、感染者数も低かったとはいえ、いうまでもなく東京都内でも各自の警戒は必要だ、と、いうのはみんな分かっていたはずです。で、あれば、あんなに花見やら、渋滞するほどの外出やらはすべきではないのは、ちょっと考えたら明白です。
それから、日用品の買い物で、1つ余計に多く買ってしまうのとかも。その余計な買い物が、その商品を本当に欲しい最後のひとりから奪ってしまうことにならないか。こういう時、余ったら友人や離れて暮らす家族にわける、というヒトがいますが、それは、その場で買って安心したいだけの言い訳だと思います。そうしたものは、往々にして受け取ってもらえず、あるいは渡したい相手も買っていたりして、余ってしまうものです。離れて暮らす家族にわけるっていっても、輸送コストを1つ余計にかけるわけです。送る相手方の事前許可を正確にとっての行動でしょうか?
このウイルス、もしも自分が感染してしまえば、家族など周りの人を、この自分が殺すことになりかねません(誤解しないで欲しいのですが、現に感染なさっている方々を非難する意図はまったくありません。悪いのはヒトではなく、ウイルスです……当たり前ですけど)。
自己中ではなく、自分たちをしっかり守ることをまずきちんと考え、余計なことや余剰なことはしないこと。
その手がかりになるのは、たとえば例の『3つの密を回避する』とか、日用品は普通の量をふつうに買うことをみんなが心掛ける限りは足りなくならないといった、全体的な状況を観測した科学的見地のメッセージをふつうに信じつつ、冷静に行動することです。こういうことすら下手に疑えば、状況はより悪くなります。
悲観的になりすぎずに自分で考えること。
これ、実はかなりむつかしいですけれども。

IPAの資格試験が春は中止に!

情報関連の資格でもかなり公的な性格の強い、IPAの春期試験が新型コロナウイルス対策で中止になりました。
こういうのを見ていると、本当に新型コロナウイルスの流行はヤバいんだなぁって思わされます。
もしも、これが学校の入試シーズンに重なっていたら、大変なことになっていたでしょうね……。

新型コロナより怖いもの

先週末のお昼前のこと。
ラジオを聴くとはなしに聞いていたら、仰天させられた。
リスナーさんからのメールやファックスをリアルタイムで紹介する、よくある番組だった。
週末のリスナーさんたちがどうしているか、というテーマに届いた、1本のメール……。
「今、都内から車で小田原に向かっています。小田原に美味しいお寿司屋さんがあって、そのランチが目当てなのですが、道路が渋滞しており、まにあうかどうかわかりません」
がく然とした。
都内から小田原方面に向かうのはこのリスナーさんだけではない。渋滞するほどいろんなヒトが向かっているというのだ。もちろん、遊び目的のヒトばかりではないだろうが、ビジネスオンリーなら、ランチが心配になるレベルの渋滞にはならないだろう。
普段であれば、小田原にまで食べにいくお寿司屋さんってどんなだろうとか、美味しそうだなぁ、とか微笑ましいのだが、今は有事ではないのか? そう認識している自分は間違っているのだろうか。今は、ある種の戦争のようなものではないのか?
先週末は、都内の名所は混雑していて、いくつかのアミューズメントスポットも再開して賑わったという。
確かに春が来たし、桜もほころんだ。いつもの春なら、いっぱい遊ぶのは良いことだ。観光地にヒトがたくさん集まって、活気があふれ、モノが売れる。お客さんの胃袋も満たされ、経済が廻る。素晴らしい。
しかし今は、人類史上レベルでまれな感染症の流行期なのだ。それこそ、100年後の世界史の教科書には、感染症の歴史については、ペストや天然痘スペイン風邪などと並んで『COVID-19』が載っているかもしれない、そんなレベルの状況なのだ。
あのリスナーさんは、自分たちが新型コロナウイルスの無症状感染者であり、東京から小田原方面にウイルスを運んでしまった可能性は0パーセントだとでも思っているのだろうか。渋滞するほどの交通量になった他の車の人たちも同様だ。
正直、全員の車が同時にパンクして即時に停車して欲しいとラジオを聞きながら思ってしまった。そしてそんな自分がそら恐ろしくなったが、こんなときに群れなして遊びに行く人たちへの立腹自体は、間違った感情とは思わない。あの日の天気はよかったが、こっちの気分は泥沼だった。
新型コロナウイルスそのものより怖いもの。
それは想像力の欠如のように思う。
見えないものを想像するのは大変だが、人間ならばやらなくてはならない。その想像力が、大切な人や自分自身を護ることにつながるはずだ。
それに、意図せぬ殺人者になど、自分は絶対になりたくない。このウイルスに自分が意図せず感染し、意図せず誰かに移すというのは(他の人のことは置いておくが)自分にはそういうことだと思っている。そうなれば、自分は一生後悔するだろう。
公共交通機関内ではスマホを使わず口を開かない。つり革は他人が触らなそうなところ(輪の上のベルト)を利用。鉄道下車後は手洗い。駅や店頭でハンドエタノールを提供していたら積極的に利用。帰宅後は洗顔を含めたウォッシング、うがい。スマホとめがねは毎日クリーニング。もちろんトイレの後や食事前には手を洗う。できるだけ換気。日々入浴。起床時の検温。
ある日、数えてみたら1日17回は手洗いしていた。これでも不安は残るが、戦う術はこれしかないのだ。

追記。
こんな状況で和牛商品券ということを言い出したヒトがいたという。自分としては不快感むしろ絶望しかない。彼らには、本当に想像力がないのだろう。未曾有の感染症に困窮する医療現場や、仕事がなくなり生活に困っている国民が見えていれば、そんな発想は1ミクロンも出てこないはずだ。彼らに想像力があるとすれば、自分たちだけが利権でリッチになれる甘い夢についてだけなのかもしれない。
マスコミにあおられるままに買い占めに走るヒトたちも同様だ。その買いすぎが、他の欲しい人から物を奪っていることを、流通のバランスを崩壊させていることを、もっともっと考えてほしいと思う。
自分だけなら良いのだろうか。