勝つとはどういうことなのか?

http://d.hatena.ne.jp/Yuny/20060124/p1
の続き? かな?


少しずつ、いろいろな報道が出されていますね……ライブドアショック
ホリエモンの日記からも【社長日記】の看板は外されました。(新しい社長さんは日記を書くのでしょうか?)
ムズカシイコトを取っ払っていうと、今回の容疑は「嘘をついて捕まった」ってなところ。それも、多くの人をだまし、損失を与えるような嘘だったから。


さて、ところで。
俗にいう「勝ち組」が「価値組」か? というのはかねてから疑問を持っていて。
「勝ち組」の一つのモデルでもあったホリエモン逮捕が自分に与えたショックの理由は、おそらくその辺にある気がしてきました。


経済的な勝利だけが勝ちなのかな? と。そういう姿勢の一つのはっきりしたモデルとして、ホリエモンみたいなモデルがあった。経済的に勝つということのイメージで、頭に浮かぶのは一つには六本木ヒルズであり、ホリエモンだった。
別にそういった勝ちを自分が目指しているわけではありませんが、何かのモデルが壊された、という感覚。それが今回のショックだったようです。自分としては。


ITキョウイクの場で勝ち負けいうのはなんなんですが、仕事では学生さんの疑問点を解決に導ければ勝ちだと思ってるし。


戦争をして勝つよりも、和平を結べたらその両国が勝ちだと思う。背負った歴史に対して勝ったんだと思う。


誰かの損が自分の得になる、その上での勝利のなんと空しい事かと。
東証も大混乱。大迷惑になっていってて。(こんな事は多分、ホリエモンも検察も東証もマスコミも投資家も企業も想定外だったんでしょうけどね)


誰かを損させることが勝利条件という生き方のルールを選んだ時点で、その人の負けのような気がするんですよね。そんなにモノを奪いたいのかと。奪う事より、自力で作ることを考えたらどうなんだと。その方が全体が発展する。作れるものを考えたらどうなんだと。


もちろん、このルールなら、「良いものを作れたら勝ち」です。前より「良くなれたら勝ち」というか。


こういう、自分視点の絶対評価的な勝利感の方が正しい気がして。恐いのは自己満足になるかも、ということですが、第三者視点の評価軸を導入すれば自己満足も防ぐ事が出来る。他人と比べるのではなく、客観的に厳密評価する視点。それでいて、経済的に食べていけるスタイル。今の世の中の仕組みで、市民であるためには他人から奪う事が大前提であるなら、自分が死んだ方がましだとさえ思えます。(まあ、死ぬわけにもいかないんですが)


他人から物を奪う生き方は、自分にはできそうにない。でも。
一つのモデルの崩壊の余波は、まだまだ続いていきそうに思います。社会的にも、自分の世界観の中にも。