「水俣・明治大学展」を見てきました

パブリックであるということは、どういうことなのか。人を育てる場所に身を置く身として、時々考えてみることです。
公であるということは、無私であることと同義になることがあると思っています。では、公に害をなした……公害という場でのパブリックは機能したのか。人の立場に立ってものを考えるとはどういうことなのか。
それを知りたくて、前から気になっていた本展覧会に行ってきました。


水俣病については、四大公害病の一つとして、小学校のときに習いました。しかし、考えてみるとそれっきりだった用語だったようにも思えます。田中正造足尾鉱毒事件とともに、小さかった頃の私の心に突き刺さった日本史上の出来事でしたが、よく考えてみるとその時にショックを受けただけで自分は何もしてこなかったように思えます。


まず重要なのは、熊本県水俣市は、古くから漁業が営まれてきた場所だったことです。海に出て魚を捕ることそのものが生活でした。昔からの漁法で使われてきた用具、フジツボいっぱいのたこつぼなどが展示されていました。今にも磯の香りがしそうでした。このような生活をしている人々にとって、いうまでもなく海は生命線です。


しかし、高度工業化時代を迎えたとき、海を生活の場、資源の場として見ず、廃棄場と見なした企業(チッソ)が現れます。彼らはメチル水銀という自然界には存在しない毒物を含んだままの工業排水を流してしまいました。自然界の自浄作用は、自然界に存在するものであればなんとか適応できるでしょうが、人間が造り出した毒物までは面倒を見きられません。こうして、最初は魚が好物であるネコなど小動物が脳や神経を犯されてしまい狂ったように暴れて死に、様々な生物にその影響が表れ、ついには人間にまで……。猫がみんな狂ったように死んでしまい、ネズミが増えて困ってしまったということで、おかしなことだと地元の新聞には掲載されたようです。映像資料もありました。メチル水銀で本能が壊されてしまった猫は、ネズミを追いかけることすらできなくなっていたのです。


きちんと調査がなされ、原因が病原菌などではなく、産業廃棄物質メチル水銀によるものだということが分かるまでに、いわれなき差別やおそれで同じ市民からも白眼視されてしまった人たち。病気による体の苦しみだけではなく、こうした孤立という苦しみも、そして以前はできた漁業ができなくなっていく、仕事ができなくなったという苦しみも……。彼らのような犠牲というか被害というかがあって、それで日本の高度成長が成し遂げられたという事実。
それに、当初は胎盤で毒物は止められるから母子を介しての原因物質伝播はないだろうと思われていたそうですが、自然界にない毒物を止めることはいかな胎盤でも無理だったのです。生まれながらにして水俣病を背負ってしまった人たちもいるのです。


発症量のメチル水銀の実物がケースに入れられて展示されていました。手のひら大もない量で、白くてきれいな結晶でしたが、この粉がこのようなわずかな量でも体内に入ってしまったら、私も水俣病になるわけで、恐ろしくてならなかったのです。


それから、原因が科学的に証明されたことと、原因企業が非を認め対策を取ることや行政から救いの手が差し伸べられることはイコールではないわけでした。
水俣病は終わってはいない。一応、水銀を使った生産を訴訟で非は認められたりしていますが、新たに見つかったり名乗り出た被害者がいたりして、それに、今も水銀で苦しんでいる人たちがいる訳で。お金を払ったりしても、結局完全にもとの体に治す治療法はまだまだないので。本当の意味での補償はまだ行われていないといえます。


彼らは地元で穫れた魚を食べただけ。悪いことはしていません。それなのに。お金になる企業体=優良納税者だからと、行政もかばったりしていて。企業城下町だから漁民でなく被害を受けていない市民からもバッシングされたりもして。
その意味で、水俣病ではパブリックは機能しなかったと思います。


しかし、もっとショックだったのは、水俣病という……この地名を冠した病気に、必要以上にセンシティブになっていた自分を見つけたことでした。
展覧会ではお土産コーナーがよくありますね。本展では、書籍資料とともに、水俣特産のお茶やみかん、水産物(いりこなど保存食)や、水俣の人々が作った雑貨品を販売していました。
せっかくだから何か買っていこうと思い、まず本を物色して絵本や児童向けの本を購入。児童文学ノンフィクションは、本質をごまかさずに書いていて流れが分かりやすいので、子供向けだからと侮れないのですよ。
しかし、自分自身にショックだったのは、小魚のいりこをどうしても買う勇気を持てなかったこと。今の水俣は大丈夫だからこうした場所で売っているというのに。またキャプションが付いていましたが、大手のデパートでの導入実績もあったというのに。理性的に説明できません。あれだけの展覧会を見ておいて、それでなお、自分にも、差別心があったということ。寿司や魚は大好きですし、小魚は好物のひとつなのですが……。ですから自分には、水俣病を恐れた一般市民の人々を非難することはできません。自分も同じでした。風評被害ってこういうことなんですね。


行政やマスコミが言っていることは、本当に正しいのか? 利益誘導のため保身のために勝手な構図をでっち上げているのではないのか? 本当におこっていることや正しいこととは何なのか?
こうした目を養う努力をしなければ、同じ過ちをしてしまいそうだと肝に銘じておきたいと思いました。