Mother 3 を再スタートできた理由は?

中継見ながらのおおざっぱなメモなので、「らしい」でメモ書いておきます。(書き逃げ)

中止したのは待たれていたし、ともかく色々なヒトのために待たせるわけに行かなかったらしい。MOTHERはゲームとは限らない遺伝子と思っていたらしい。コンピュータのグラフィックスは日進月歩で、今の物をライブラリにして取っておいても次使えるか分からないらしい。中止が決まったときマザー3の映画化の話もあったらしい。日本ではこの規模の映画化は無理だったらしい。そんなこんなで「私産むわよ」的なコトを言ってくれたのは任天堂宮本茂との京都のタクシーの中での「GBAでマザーってありうるんでしょうかねえ?」が始まりだったらしい。http://www.1101.com/MOTHER3/kimochi/index.html


糸井さんが考えていたよりもCGのヒトたちは力こぶ作って作りたかったらしい。任天堂の血筋はみんなでリアルやっているときに平気でマリオ出してる感じで糸井さんもそれに近かったらしい。糸井さんは64版のエンディングはテキストではなく映像で語る感じで考えていたらしく、それをGBAにするのは無理があったんじゃとかはタクシー降りてからちょっと思ったらしい。でも、宮本さんは岩田さんと事前にある程度話はしてあってあとはいつ糸井さんに話をするか、だったらしい。


伊集院光さんにいわせると、容量とかグラフィックとかの制約がなかったらマザーはあり得ないんじゃなかったかな、という印象らしい。だからGBAを選択したのは結果オーライ、という出来らしい。


ブラウニー(ブラウン?)さんも製作に関わっているらしい? 今までのマザーチームと違うので、今までのチームでの面白いと思うことが通じるかみたいなことはあったらしい。


FFとマザーの話……。(メモしきれず)