パソコンが嫌いな人

身の回りに、パソコンが嫌いな人がときどきいる。
もっともだと思う。


お茶をご一緒させていただくと、お話がとても楽しい人たちなのに。
現代的コミュニケーションツールである「パソコン」「ケータイ」は苦手なのだ。


それは当然の事だ。
コミュニケーションは元来「しゃべる」「書く」「描く」というところ。
必要なのは、体、そして、相手と自己の尊重という気持ち。これは人間なら当たり前だし、だれでも出来る。
言語圏が異なる人、病気などで言葉が分からなくなった人とでも、コミュニケーションできないわけじゃない。極端な話、言葉が通じなくなっても、笑顔は通じるのだ。外国語が出来なくても、身振り手振りと気持ちがあれば、外国人に道案内すら出来る(何度も経験がある)。


だから、今の日本でインターネットを使っていない成人以上の人たちは、高いお金を払ってまで、なぜコミュニケーションの『手段』を学び、手に入れなくてはならないのかと思っているだろう。


ネットの世界のサイレントマジョリティ(声無き大多数)にもなれない人たちが、まだまだいる。
そして、そういう人たちは、「インターネット」が多分「モンスター」に見えている。
正体不明だが、克服しなくては生きて行けない代物だと。


たとえばこうだ。
−テレビを付ける。番組を見る。料理番組が終わるところだった。
−−「今回のお料理のレシピはホームページでも紹介しています。アドレスはhttp://www.……」
−−−どうやら、私以外の『みんな』は「インターネット」とやらを使っているらしい。
−−−−パソコンというキカイが必要らしい。
−−−−−20万円も払って買った。インターネットの使い方を読んだ。よくわからない。
−−−−−−次の日。またテレビを付けた。バラエティ番組だった。
−−−−−−−「番組のケータイホームページではテーマ曲の着メロを配布しています。トップから『テレビ』→……」
−−−−−−−−以下繰り返し……。


機械が使えないと生きて行けないのか?
テレビはインターネットへの微妙な恐怖心を、結果として煽って行く。


テレビだけじゃない。
新聞に時々折り込まれている、市や区の広報紙。
末尾にはたいていURLが掲載されている。


インターネットブラウザの「URL」欄に、それを打ち込む技術を知らなければ、広報紙ではわからない情報を知る事は出来ない。


日々ネットを使っていても、「インターネット=Yahoo! Japanのこと」だ、と思っている人は、意外に多いのだ。
そして、Yahoo! で目次(ディレクトリ)をめくっても出てこない情報は、その人にとっては「無い」も同然である。
数字に出てこない部分で、格差は広がって行く。


今、必要なのはWeb 2.0とかの最新ITの議論だけじゃない。IT教育だけではない。
インターネットの啓蒙だと思う。


そういった意味で、パソコンを学ぶのは、マンツーマンでなければ難しいだろう(持論)。
「パーソナルなコンピューター」というその名の通り、一人一人利用目的は違うのだ。
パターン化なんて乱暴は、私なら死んでもしたくはない。


残念ながら、まだまだパソコンは、ずぶの素人には難しいと言わざるを得ない。
本で勉強したくても、本の選び方すら分かりにくい。
老眼の方に配慮されたヘルプやマニュアルはまだまだ少ない。


そして、パソコンは初期費用も維持費も高いのだ。
2000円以上のIT書籍は、購入するのに冒険心がいるのが普通だろう。
安くても5万円以上の本体購入費用だって、普通の生活者ならかなり悩む金額だ。
プリンタは2万円もあれば買えるが、インク代が高い。初心者でインク代まで考えて買う人は、よほどのしっかり者だろう。


パソコンが嫌いな人は、人間的に面白い場合が結構多い。
この経験則が示している大切なものは、現代社会で無視されつつあるのではないだろうか。