「女道XXX渋谷編」千秋楽@渋谷Gallery LE DECO

ひょんなことで知り合った、芝居パフォーマンスユニット「女道XXX(おんなみち)」さん。今日は雪にもめげずに公演を行っていました。舞台は初めて拝見しますが……さてさて?


さてさて、雪かきの後に今日の千秋楽を見に行って来ました。「Gallery LE DECO」は埼京線側の新南口から歩いてすぐのところにあり、非常に便利な立地です。今回の舞台は画廊なのですね。
渋谷の雪も溶ける熱いパフォーマンスぶりを期待しつつ。


今回のテーマはズバリ「救い」とのこと。「今度はどこにいこうか?」と地球儀をくるくるさせ「女道×××」を旅する架空の和服の似合う美女二人……暇を持て余し気味……のところに、背の小さなオトコがやってきます。やたらキイキイいいながら、でも彼女らの踊りを認め。芝居をやりたいが役者がいないので急遽出てくれ、ということに……。


狂気とファンタジーとビートと感情と母性と野生の入り乱れるパフォーマンスが展開されました。
どう書いていいか難しいけど……その「場」から目が離せなかった。


小さい頃は、誰でも空をいつか飛べると思ってた。
私もそう思っていた。
でも、いつか、人間は、自分にはそれなりの限界みたいなものがあって、たとえば人間として生まれたら空は飛べない。
そういうのに気が付き始めた頃から、夢の中でさえも、空を飛ぶことは出来なくなっていく。
私自身は23歳くらいから、空を飛ぶ夢をあまり見なくなりましたね。
小さいときはよく見ていたんですが……。


大人になると空を飛べない。でも大人になると出来ることがたくさんある。


そのセリフのシーンがやたら印象的で。


さっきからずーっとそればっかり考えてるなあ。


大人になっても空は飛べるし、自分のお金を得られるようになって自分が自由になっていった感覚はあるんですが。


でも、子どもの頃の、お金なんかいらなかったころの自由には、なんだかかなわない気もする。


2歳くらいの自分は、公園の砂場に、何を見ていたんだろう?
そのころ、父がテレビに配線をつないでいる様子を見て、通電中の電気香取マットのコンセントをはさみで切断したことがあるのですが、あのとき、私は電気というものになにを見ていたんだろう?
あの火花に、ショックに、絨毯の焦げ跡に、何を見ていたんだろう?
切ったはさみは刃がへこんでいました。電気の衝撃と熱で融けたようです。もしも取っ手がプラスティックじゃなければ死んでいた。
でも、あの事故は、電気への興味をかき立てて、小学校でプログラミングやワープロに興味を示し、今でもパソコンでそれなりに食べていってる自分を創ってもくれた。
あのとき、電気にであった時の自分が分かっていなかった訳の分からない力の世界を、今はそれなりに使って生きている。


多分、比べるのが違うんだ。


世界は違ってしまったんだ。自分は違う物を見るように、いつのまにかなっていってしまったんだ。
そうじゃなければ生きていけないから。


多分、幼稚園(保育園ふくむ)という、ちいさな社会に出る頃から、子供は子供じゃなくなる準備を始めるんじゃないかな?
いつの間にか、友を得て、人を愛することを覚えて。自分のためではなく他人のために力を尽くす喜びと時に在る理不尽さを知って。
他人と自分は違うということを理解し始めたときに、いつの間にか翼は消えてしまうのかもしれないな。


まとまらないけれど、そんなことを思いました。
でも、今でも雪は好きだし、節分では豆をばらまきまくるし、雪だるまは作ってるし。
あの頃の楽しかった気持ちは、ずっと取ってあるし、ときどき引っ張りだしてくることもできる。
幼いと思われてしまうかもしれないけれど、そういう自分を大事にしたいな。他の人がそんな自分をいいと思おうと、コドモだと思おうと、自分の世界を壊すことは誰にも出来ない。そして、この世界を持っていることで、他の人に迷惑さえかけなければ。自己中心ということじゃなければ。
ま、そんな風なことを必ず考えなきゃいけないのが、おとな、なのかもしれないけどね。


ともあれ、思索とビートのひとときをありがとうございました。
「女道XXX」さんの次のパフォーマンスにも、幸あれ!