「女書」から、学んだかもしれないこと

今日は一日中、今朝テレビで見た、「女書」のことが頭の中でグルグルしていました。


自分は幸いにも教育を受けられる現代日本に生まれ育ちました。それに、絵本を読むのが好きな母親と、勤勉な父親の下で育ててもらいました。
幼少期に父親の興味でパソコンが家に導入されたので、キーボードアレルギーは全くありませんでした。Basic言語をそれなりに使えるようになって、小学生時代にはゲームを作ってみたりして。まあ、どうしてもバグが回避できませんでしたけど(今でも謎)。


興味がある分野であれば、勉強そのものに嫌悪感は自分の中ではあまりなく、また両親も勉強しろとか強制的に言う人でもなければ勉強を嫌悪するわけでもなく、でも本は買ってくれたし、かなり学習環境は恵まれていたと思います。
私立大学にまで進ませてもらえて。かつ、仕事場も大学で。
客観的に考えて、どれだけ学習環境に恵まれていたことか。


自分たちに自由がないことを強制されていた、あの女性たち。でも、言いたいことはあるし、書きたいこともあるわけで。表現欲求というだけでは多分言葉としては半端すぎるのでしょうけれど。もっと切実に、自分が生きたということを記録したいというような、何とも言い難い強い気持ちがあって。たぶんそれが女性のコミュニティの中で無意識に共有されていた。だから、世界的に見ても特殊な文字が生まれた。


女性ゆえに生活にあるものなら何にでも活用できて、学習環境が特別になくても、表現できる空間があれば「書け」た。だから手紙にしたためるとか、帳面に気持ちを吐き出すなど、一般的な「紙と筆」だけではなく、刺繍などにその文字を使うなどという方法も編み出していった……。
筆と布の国、中国らしい文字の使い方だと思いました。モノがない環境でも創意工夫を重ねるということには、無限の可能性がありますね。


それから、Webで少し調べただけなので何とも言えないのですが、日中戦争文化大革命など戦乱によって、「女書」がすたれる大きな原因になったらしい、といわれているようです。戦争は様々な文化遺産を、人の心とともに破壊します。
それに日本が主体的にかかわっていたこと。
あの時代、世界覇権を願い派兵するのが世界的な流れだったのかもしれないけれど。そうでなければ自国を保てなかったのかもしれないけれど。
日本もヒロシマナガサキのような大変な被害があったけれど。
やっぱり、今の自分からは、おかしかったと思う。
人を殺してまで、しなくてはならないことって、いったい何だったのだろう。
他国の文化を破壊してまで、自分の国を守らなくてはならない時代って何だったのだろう。


それに……。
自分は、何ら、工夫していない。
それに、飢えてもいない。
それにそれに、自己改善を思うだけで、実行してもいない。
うわっつらの表現だけ、日記に走らせても、何の解決にもならないじゃないか……。


いくら勉強して、それでお仕事をいただいて、それなりに人の役に立ってはいても。


感謝していただいてありがたい。こんな小さな自分などを、必要としてくださってありがたい。


背中に電気が走ったような、肩を氷で突き刺されたような、痛い思いをしたのは久しぶりです。でも、そういう気持ちが久し振りであってはいけなかった。腐っていることが分からないほど腐っていた。
気がつかされました。


この表現すら上っ面になりそうな自分が嫌だ。


でも、自分には、少なくとも年1回は夏に表現をする機会を与えていただいているから。

もう嘘はつきたくないな。それは苦しいだけだった。ごまかしだけだった。
そのせいで、大切な友人もふたり、離れて行ってしまった。
あのころから自分は根本的には何も変わっていないようです。
変えてない。むしろひどくなったかもしれない。


書いてカタルシスを得てしまうのがいけないのかもしれない。
やったつもりになってしまうのが。

必要なのは、常に、今。今、何をするか。何を目指すか。
それだったのに。