客観性の留保と独創性の発揮の関係について

他人の目で自分の言ったことや書いたものを見つめるのは、本当に難しいものです。
自分では推奨のつもりで書いていて、実際には命令のように思われたり。
余計なことを書きすぎていて、重要なことが伝わらなかったり。
誤解されると思っていない表現で、重大な誤解が生じて、人間関係にヒビやワレが生じたり。


プレビューができるといいんですよね。
BBSやBlogで、アップロードしたのとほぼ同じ状態で試しにみることができたり。
出版物のゲラや原稿のハードコピーのように、書いたものを本物そっくりに見ることが出来たり。
ああいうもの。シビアなまでの客観性。自分を他人として批判できる広さと強さと深さと大きさ。
日常生活の表現行為においても、プレビューが出来る視野の広さや落ち着きが欲しいものです。


自分の脳みその中でプレビューするのは、どうしても自己中心的なシミュレートになりがちですから、本当にやってみたときのことを想定するのはなかなか難しいものです。
自分の脳みそでは想定できない要素が、現実の中では必ずありますから。


そうしたプレビュー能力を持ちつつ、オリジナリティも発揮できる人が、世の中には時々おられるようです。なんらかのジャンルで大きな成功を収める人には、少なからずそうした要素があるように思えます。
広い視野と客観性、そしてそれらに裏付けられた強い独創性。
これらを手に入れるためには、きっと失敗をした後が大切なのでしょう。失敗をした後こそ、素直になって謝罪しながら、どこにミスや読み間違い・聞き間違い・書き間違いなどがあったのか、他の方に教えていただけるような謙虚さが必要なのではないでしょうか。


自戒を込めて。