作る→楽しませる→豊かになる! ……?

私は件の「メイドイン俺」はまだ買っていません。*1が、手も空いたことだし次はライトに奥深いものをやりたくなりましたので……。これあたりぴったりかも。


ライトにプロレベルを作れる環境が一部のオタクのものから一般人に解放される流れができてきたのは、おそらくインターネットの一般化(1997年〜2000年ごろ)と時期をひとつにしているのではないかと思います。いろんなヒトとの情報のやり取りが楽にできれば、いろんな人が手軽に何かをできるようになるものがたくさん作られていくようになって当たり前。印刷屋に頼らずにパソコンで年賀状を作る、といったことが端的な現象でしたが、いまやソフトもフリー(OpenOffice.Orgなど)で開発やサポートに一般人自身が参加できるようになったり。何がプロであることなのかが揺らいでいます。プロにしかできないことというのは、技術だけのことじゃなくて。ある企業に入らないとその設備が使えない……だから、プロになれない、みたいな時代がずーっと昭和のころはあったんですが。21世紀に入ったとたんにそのあたりがどんどん開放的になった。直接的にも間接的にもインターネットの力だろうなあと感じます。


で、wi-fiを利用して世界的にゲームを公開できる機能付きで、ミニゲーム制作ソフトがDSで出ているのだそうです。
なんか、エンタメ革命が起こる予感を強く感じているのは私だけではないのだろうなあ。


ところで、青少年向けエンターテインメント小説業界で名作が完結しない現象が続いているのだそうですが、作者が書きたくても出版社のマーケティング方針いかんでは出版できない。プロの小説家は、書くことで売れて食べられる、という職業なので、版元に売れないとみなされた本は書けない*2。名作が完結しないのは作者だけのせいではない。もちろん、作家がその小説の世界に飽きて書かなくなるとか、病気や死去などで物理的に不可能になってしまうこともありますけれども。


でも、インターネットで連載して完結して、それでビジネスモデルがきちんとなりたつのであれば、出版社に頼らずとも小説家になれるわけで。そういう、副業としての小説家も出てきているし。まだまだネットオンリーで食べて生活していけるようになるのは難しいようですが……中にはそういう成功した人もいるのかな? 私が知らないだけで。ともかく、全国の人に読んでもらいたいという意味では出版デビューしなくてもいい時代になってきています。あとはそれで食べたいのかどうか、ですが。コストとかリスクとか考えたら、ネットの方が書きたいお話を書かせてくれる、という場合もあるだろうなあと。


同じように、ゲーム制作とかも……もしかしたらツールの進化しだいでは、DSなみに手軽なもので開発して、それで全国の人が遊んでくれたりする(「メイドイン俺」はいまここの段階)上に、それで食べていける世界もできるのかもしれないなあと。


いろんなエンタメを作ることが、一般市民に開放される。


プロの世界では、いわゆる「大人の事情」でできないこともありますが、環境が開放されていけば本当にユーザがほしい楽しみをユーザ自身が作れる。そういう時代です。


これはなにもエンタメに限ったことではなく。学問にしてもそう。理系はジャンルによってはまた事情が異なるでしょう(実験設備の問題など)が、文系的な学問分野(人文科学)に関してはネットがあればかなりのこと……高卒・大卒レベルまでは無料で学べる環境が整ってきています。あとはそれを卒業資格という意味で社会的に通用する形にできるかできないか、くらいなものですが。民間のさまざまな検定試験で1級を取ればかなりのモノといえますし、学校を卒業しないととれない資格(学士など)は、就職して食べていくために必要なだけに過ぎなくなってきている気がします。アカデミックな意味での『立場』を求めない限り、学びたいという欲求に応える環境は、インターネットによって革命的にコストダウンしたと思います。
逆に言うと、学士等、大学を出た、ことの意味を空洞化が起こってきていないか、という心配もあるわけで。大学全入時代で大学そのものが淘汰されたりしていますし。
なかなか社会の上の立場の人は変わろうとしていないようにも見受けられますが。市民の方が多くを知っていたり。既得権益を守ろうとする人々は、どんどん一般市民から見放されて、時代遅れになっていくんだろうなあ。
印刷術の発明以上の革命的時代を生きている実感。
だからこそ、インターネットをいまだに使ったことがない人々が気になって仕方がないんです。情報弱者問題、PCや携帯がない人には死ねといっているような時代でもあるので。いまだにネットが必要がない、と思っていてそれで生活ができているヒトと、PCを日常的に見ているヒトとのギャップ。


必要がない、と思っていても、ネット通販を使えばいちいち田舎から町へ出てきて杖突いて苦労して買い物しなくていいよ、というような話。うまく書けませんが……インターネットは地域格差を埋めてくれる優れたツールなのか、逆に格差が広がってしまうのか。そういうことへの漠とした懸念があります。


たとえば、ケータイが広まったから公衆電話が圧倒的に減ったこと。ケータイを使えない・使いたくない・使わない人は、外出先からどこかへ連絡したい場合に数が減った公衆電話を探さなくてはいけない。ケータイを持たない人に責任はありませんが、その人にとっては余計な時間・労力のコストがかかるようになってしまった。杖を突いておかないと歩けないような……歩行にリスクが伴う人にとってはほんとうにつらいんじゃないかな。


同じような現象がデジタルデバイドとして起こりそうな気がする。


ひとりで何でもできる人にとってはとてつもなく面白くて便利な時代ですが。
いろいろな障害でできない人にとっては、どんどん生きづらくなる。孤独死が増えたり、自分で問題を抱え込んで自殺したり。
人間は社会的な生命体なので、一人でこっそり霞を食べて生きていくことができない。


……これはみんなが望んだ結果なのか。どうしても少数派が気になってしまうのでした。自分も、マイノリティな部分があるから。マジョリティ万歳! で生きていけると思ってないから。
ほんとうにこの時代のあり方は、人間として正しいのか、どんなひとでもさいわいになれるものにつながっているのか。かんがえこんでしまうのです。たんにサバイバルなだけなのか、ものすごく人にやさしい時代なのか。時代はエゴなのかエコなのか……。多様性があるのか単一化なのか。
googleみたいな会社があったりするし。彼ら、世界中の情報を整理しつくしたいらしいですけど。70億人がそれを望むのか否か。


どうなんでしょうね、ほんとに。


結論はそう簡単には出ないのでした。

*1:このところケータイゲームの『Final Fantasy 4 The After 〜月の帰還〜』(FF4TA)ばかりやっていたもので。昨日の夜、ようやくFF4TAはクリアしました。最後の敵を倒すのが難しかったなあ。FF4TA話はまたいつか。

*2:とくに、新作を依頼されて制作し、そっちがブレイクしている場合、旧作に制作リソースを割くのは難しいと思われます。完結しない旧作をほっておいて新作ばかりを執筆している作家さんも、旧作を見捨てたわけではなく……。ジレンマでしょうね。