世界を壊すな

9月11日が今年も過ぎた。
あの時、夜半に父がつけていたTVはCNNからの生中継。
アメリカの貿易センタービルに飛行機が突っ込んでしまったらしい……って、何?
そして、まるで新作映画のようだった2機目の突入……。
ニューヨークの人々が守っていたそれぞれの小さな世界は、突然、まとめて壊された。
なにもかもなにもかも。
その様子は、日本だけでなく各国に直ちに伝えられていった。
現地に関わりがあってもなくても、この暴力は衝撃的だった。
あらゆる意味で、あらゆる場面で、暴力には、私は断固反対する。
マンツーマンであろうと、戦争やテロのような場面であろうと。
第一、人類が本気で争い合ったら、この地球はぶち壊される。例えば福島原発事故のような状況を意図的に世界的に多発させたら、当然、地球は終わってしまう。
地球を壊す権利は誰にもない。そして、他のヒトの世界を蹂躙する権利もまた、誰にもない。
誰かが生きた証は、次の世代につながなければならない。誰かの世界をぶち壊すというのは、そのつながりすら壊し、未来を奪う……例えばそういうことだ。
いい加減、軍部が国の論理で民間を巻き込んで破壊するような愚行は、世界から消え去って欲しい。そんなことをしても、何も生まれない。理由を付けて大義名分をこじつけて、兵器を使いたいだけ、破壊をしたいだけ。破壊なんかしたくないならやらなきゃ良いだけのハナシだ。そこは絶対にやらないと決めた上で考えることだ。それをしようとしない時点で人として終わってる。そうとしか思えない。
この国ではまた国政選挙が行われる。どの候補者や政党に投票してもその人の自由であると思うが、権利を放棄することは、下手したら自分自身の世界を守らないことにつながると、もっと知られて欲しいと思う。今のシステムだと、投票放棄は結果的に現与党への委任みたいになってしまう。それを納得しているのか、そんなことはどうでも良いのか。積極的に現与党が良いというなら投票で示すべきだし、野党などの方がいいならもちろん投票すべきで。どっちに転んで欲しいという私自身の支持政党とは別に、投票率が70%も行かない現状は、この国の民主主義の放棄、そして戦争への道を少しずつ歩み始めているのではないかと心配になる。
投票をするためには、何でも良いから政治のニュースを読んだり、考えたりしなくちゃいけない。そういうことすらをみんながみんな放棄してしまったら、国民のことなんか二の次で国のやりたい放題になっちゃう。で、国というのは本質的に大きくなりたいモノなので、そうなると手っ取り早いのは戦争すること、となる。そうなると、誰かの世界を勝手に壊すことに全員が加担させられちゃう。
そんなのはごめんだ。私は誰も殺したくない。誰も壊したくない。そして、誰にも殺されたり、壊されたりしたくないんだ。当たり前だ。きっとこの考え方は、考えすぎなんかじゃない。
毎年8月半ばや9月11日頃は、そんなことを考えてしまうのだった。
いつまでこの国の国政選挙の投票率は、低空飛行のままなのだろうなぁ。