シーレを追って。

昨日(id:Yuny:20040611)迷宮美術館で見たエゴン・シーレ。新宿のハンズからの帰り,隣の大きな本屋(紀伊国屋書店)で画集をつい探してしまいました。500円のポストカードブックや,日本の出版社が出した2冊くらいの画集、それから、洋書の4000円位の画集がありました。テレビで見てここまで後を引いた作家っていませんね。決して好きな画風ではないんですが,(人物画はルノワールの方が好み)今の自分は目をそらしてはいけない気がして。


番組にあった、シーレが描いた、今の自分がかつての自分を抱いている二重の肖像画の作品名が、洋書の画集で分かりました。"Double Self-Portrait" 1915年。検索したら出てきましたのでご覧下さい。
http://www.mystudios.com/art/modern/schiele/schiele-double-portrait.html


この絵にはもう、コメントしません。っていうか、簡単にコメントできるような作品じゃありません。以前,日本で展覧会があったみたいですが,もし機会があれば彼の作品を見てみたいような気もします。あまりにもあまりな画風だから,印刷で満足していた方がいいのかもしれないですが……、自分の中のタブーにも、触れさせられそうな気がして恐い。これが100年近く前の方なんですから、芸術って古びない物は古びない。


4月に東急文化村であった印象派の展覧会でも思ったんですが,私はどうやら、前をしっかり見据えた人物画に弱かったらしいです。あの時,お金がないのにカタログを買うハメになったのが、ルノワールの「若いルーマニア女」(Jeune Roumaine)1914年。(さっきのシーレのと年代が近いですね)


ちょっとググったんですが、原題でも邦題でも画像は出てきませんでした。白い上着に青いロングスカートの女性が、いすに腰掛けてこちらを見据えている絵です。この目線にヤラれて、ポストカードにもその他の物にもなっていないので、カタログを買うことにしました。ルノワールは黒を使うのがうまかったそうですが,このモデルさんの黒目の表情がなんとも表現しがたい神秘さがあると思います。優しい筆致なんですが、目だけは何かをこちらに届けたそうな感じをしていました。


生きていることを形に残す。それをどう評価し,あるいは捨て去られるかは分かりませんが,ある意味でシーレもルノワールも幸福な人だなあって思います。その生涯がどうであれ,亡くなられた後も、こうして生き様や作品を追っている人が世界中にいるわけですから。