旧MOTHER3問題から学んだこと。

最近、イマキュレートハートに出展できたとはいえ、自分の中で「よし、モノ作りをしよう」という意識というか、モチベーションというのかが低くなってしまった。
結局、今年の展示は分かりにくく、自分が指向する「体験型音楽系展示」ってヤツはお客さんに伝わらなくちゃどうしようもないのに、展示を見てくれた友人曰く、「何となくは分かったけど何をやりたいんだか分からなかった」と言われてしまった。


とりあえず、「いまメディアから手に入る情報ってヤツは、人からの又聞きなんだから信憑性を考えるべきだ」ってことだけはちゃんと作品で言いたくて、でもそれを優先したら、お客さんが楽器を演奏できる展示ではなくなってしまった。もし、それを言う事と演奏が出来る展示である事を両立できたらこんな感想はもらわなかったはずだ。
でも、こんな形であっても、完成というか、ひとつの形にしてお見せできたのは良かったとは思っている。


他に持って行き方はなかったのか、いろいろ考えていくうちに、ふと思い出したのが糸井重里氏のRPG「旧MOTHER3」問題だった。労力をかけても、コピーライターやゲーム界のプロ中のプロがやっても「完成できない」事例として。
2003年、「MOTHER」の1作目と2作目とがゲームボーイアドバンスで復活し、そのときに3もアドバンスでつくっているということが発表になった。実のところこの発売で3の制作が一度はスーパーファミコン→Nintendo64DD→Nintendo 64と6年間変遷してつぶれたという事を知ったというくらい情報に疎かったが、ほぼ日刊イトイ新聞やMOTHERのファンサイトをいくつか回って、MOTHERシリーズが置かれた立場みたいな物がちょっと見えて来た。なぜ、旧MOTHER3が完成という日の目を見られなかったのか。

から

に行き着く間に、どれほどのドラマがあったのかはテレビゲームそのものから離れていた身には知る由もない。
ただ、MOTHERの初作は西洋ファンタジーもの中心だったRPGへの糸井氏の疑問から企画が始まっているし、2は初作で出来なかった事を再点検して盛り込み直したものだった。

それに比べて旧作3は長いシナリオにアレコレ盛り込みすぎ、また先ほどの中止に関する座談会から見えてくるように、MOTHER3は64で創れるなら三次元にするのが命題なはずだ、という時代の思い込みみたいなものに縛られてしまったようなのだ。それからプロデューサが直接関われなくなったり、新ハード「ゲームキューブ」プロジェクトとの兼ね合いもあって進められなくなってしまったらしい。


本当に表現したい物は、三次元でないと駄目だったのだろうか?
ドラクエ 7が妙な3次元になったとき、私はあいかわらずゲームから離れていたが、CMだけでものすごい違和感を感じた。その違和感は自分の中ではドラクエ 8で解決するのだが、テキストが創って来た伝統のあるRPGみたいな物は、中途半端なポリゴン的三次元映像化に必ずしも適さないのではないかと思う。どこかでセルアニメっぽさ、テキストっぽさを残さないと。それがそのシリーズで表現したい物だったはずではないか。


幸い、MOTHER3は開発が再開しているようだ。それはもう同じような轍をふまず、きっと小気味よくかつ深いストーリーとか、シンプルだが驚きがある仕掛けとか、プレイヤーが現実にフィードバックできるような趣き深いテキスト、美しい音楽など、それからなにより「完成させること」を目標にスタッフの方は日夜がんばっているのだろう。氏の語るように、色々な本でも読みながらじっくり待たせていただきたいと思っている。


ともあれ、目的と手段を掛け違えてしまったときの怖さみたいな物をよくよく感じた記事だった。MOTHERシリーズの最大の命は、システムでもグラフィックでもなく、糸井重里氏の深みのあるテキストとストーリ−、結局これに尽きるんじゃないかと思う。システムやグラフィックは、それを十分に伝える為の舞台装置であって、舞台装置の為に舞台があってはならないんじゃないかと思う。


私の作品も、多分まだ「やりたい事」が練り上がらない状態で、舞台装置だけを無理矢理舞台に上げてしまったのが今回の中途半端さの原因だったのだろう。かといって、自分が飢餓感を覚えるほど表現したい物が見つかってはいないのが痛いところではあるが……。表現したい物が無い事への空虚さと飢餓感はある。それがいい形で次の作品に結実する事を信じて、模索だけは続けていたい。