MOTHER3 八章 過去との接点と新しい扉

ネタバレ注意。
終わってしまった、と書けばいいのだろうか。ゲーム自体の総評を書く気になれない……。
GBAのちっちゃい筐体によくぞコレだけの長いファンタジーを詰め込んだなあと……。
そう、今作はファンタジー色が本当に強かった。このゲームは箱庭だと思った直感は、まつがってはいなかったらしい。大仰な世界を背負っていて、その中で命運を握ってしまった主人公とその一家。なんだかセカイ系っぽい気がする。時代の色なのかもしれない。
FFとかが機械文明と西洋ファンタジーのあいのこ的な要素があるとすれば、MOTHERは現代文明とファンタジーの、だと思っているのだけれど。最終ボスはやっぱりMOTHER2のあのヒトだったし。そういえば、彼のオチはある意味で「新世紀エヴァンゲリオン」のような感じの話で考えられうるバッドエンドの典型だった。自己閉鎖というのか。こういうのは現代病なのか。
今作ではMOTHR2のネスの敵討ち(ちょっと違うけど)が出来るかと思っていたけれど、そういうのでもなかった。でも、「彼を倒した!」というカタルシスを敢えて与えない作りになっていて、彼自身の意志でそういうことになったから、逆に印象に残ったのだと思う。多分、殺してしまうオチにするのは簡単だったし、過去にいくつものRPGが悪の親玉を殺すことを正義としているけれど、そうはしないし出来ないのが、糸井重里さんの日本型RPG「MOTHER」なのだろう。それに、彼は悪役ではあるけれど、悪なのかというとそれも疑問だ。極論すれば、悪ふざけが過ぎただけ。
核を玩具にしている某国首脳の顔が一瞬よぎった。多分、この直感もまつがっちゃいない。
全ての王になったものは、多分、退屈で仕方がなくなるのだ。


最後の戦いは、つらかった。基本戦略は専守防衛なのは歴代のシリーズと同じだ。だがそれだけではない。ある瞬間、判断を求められるところがある。
戦友たちや最後まで付いて来てくれた愛犬までもが雷撃を受け、たった一人かと思ったら、そんなことは決してなかったのだけれど。
でも、せつない。そうとしか書けない。
そういう終わりしか、この物語にはあり得ないけれど。


エンドマークが出た瞬間。
そして、今までに見たことも聞いたことも無いようなエンディングに入って行ったとき。
キャスト&スタッフロールが流れたとき。
ロゴマークがぬくもりを取り戻したとき。


最後の最後で、MOTHER3の中を描かなかった。もう見えるはずだから。
モニタのこちら側の世界こそがバトルフィールドだというコト。それが、MOTHER3の結末だと思った。


最後におさらい。
初作のMOTHERが本格的に準備されたのは、1989年3月の(株)エイプ設立からだという。発売されたのは1989年7月27日。
次作のMOTHER2が発売されたのは1994年8月27日。開発が難航し、いったん頓挫した後、HAL研究所によりテコ入れされた末の成功だった。
ファンの声に応えて、MOTHER1+2という形で、現代の携帯ゲーム機であるGBAにカムバックしてくれたのが2003年6月20日
おそらくシリーズ最終作品になるだろう、MOTHER3は、何だかんだで12年かかったらしい。対象ハードウェアを2回も変更し、いったんは開発中止を発表し。3機種目となるGBAで、2006年4月20日のリリース。
この辺りの事情は、詳しくはhttp://hokotate.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/gbamother_3_a178.htmlに掲載されている。

たぶん、任天堂からしてみればものすごい難産だったし、いくら売れても、ものすごい赤字にはなる(トータルで考えると)コトだと思うけれども。それでも、出した。
トータル17年間に及ぶ制作。ある意味、奇跡的だった。こう書いては失礼かもしれないけれど、人間が17年間、何だかんだで作ってこられてしまうことって、年寄りになって行くことでもあるので、本当に奇跡なのだ。こんな悪ふざけを17年かけて結実させてしまったことは。


最後までプレイすれば分かることなのだけど、多分このゲームは、プレイヤ−が操作できる形でのシナリオ導入が出来なかった話が2、3章分位はあるのではないだろうか。(64版開発中止時の座談会で、飛ばさざるを得なかった部分があるようなことは読んだが)そうやって削らないと収めきれないところがあったとしたら、それは残念なことでもある。どうやって主人公が自分を変えて行けたのか、その最初のきっかけの部分が省かれていて、ジュブナイルファンタジーではこういう部分が大事だったりするけれど、ゲームのテンポ悪化を恐れてか、そのもったいない章を削っているような気がした。(小説ではもちろんのこと、映画ならば、おそらく見せ場として入れて来ただろう)意図的にか、制約故にかは分からないけれど。それは残念なことでもある。


でも。


そういったプレイヤーの感じた「残念」はあるけれど。(MOTHER2とは世界観が大きく変わっていて残念、とか、作曲者の変更が残念だとか……)
それは、MOTHER3がここにあって、この物語を体験できたことの希少性に比べたら些細なことだと思う。
糸井重里さんがご病気とか、たまたま飛んで来た隕石とかで亡くなるコトだって、無い話じゃない。
そして、ゲームの作り手たちが最後まで歩き続けることができたことも。


未知の島だったNOWHERE ISLANDを、隅まで知ってしまったこと。それだけが残念。
贅沢な時間を過ごさせてもらった。
主人公たちじゃないけど、「いいけいけんになった」と私も思う。