「読み聞かせ」と著作権

これは、ずーっと、ずーっと、昔から伝わる、不思議で素敵なお話です。
昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
ある日のこと、おじいさんは山へ竹を取りに行きました。
かごを編んだりするために、竹はいつも必要でした。


山へ行ったおじいさんは、なんと光る竹を見つけました。
ナタで切ってみると、中には可愛らしい女の赤んぼうがいるではありませんか!
びっくりしたおじいさんは、ともかくも家につれて帰り、おばあさんに赤ん坊を見せました。
おばあさんもびっくりしましたが、子どもの無い夫婦を可愛そうに思った神様が、子どもを授けてくださったのだろうと語り合いました。


そこで、おじいさんと、おばあさんは、この子に「かぐや姫」という名前を付けて、かわいがって育てることにしました。
かぐや姫」とは、輝かしいお姫様、という意味。光っていた不思議な竹から出て来てくれたこともありますし、この子自身も輝かしく思えたからでした。


それ以来、山の竹林に分け入ったおじいさんは、時々、小判や宝物を見つけるようになりました。
しばらくすると、おじいさんの家はとても裕福になりました。


かぐや姫はすくすくと大きくなりました。
やがて、可愛らしくも美しい娘となり、その噂は村を越えて、遠く都にまで届きました。
あまりの美しさに、おじいさんの家には見物人がやってきて、その人たちがまた噂を広めるからです。


都には、可愛いらしい娘さんを一目見たいと思う、5人の皇子様がいました。
いても立ってもいられなくなり、彼らはおじいさんの家を訪ね、どうか会わせて欲しいと頼みました。
しかし、肝心のかぐや姫はなぜか会いたがりません。


皇子たちはしつこくしつこくお願いし、ついにかぐや姫は根負けしました。
そこで、一人に一つずつ、とても探してこられないような秘密の宝物を持ってくるようにいいました。
たとえば、ツバメが持っていると言う不思議な貝、火をつけても燃えないというネズミのころも……そういった、世にも珍しいどころか、本当にあるのかどうかも分からないような品々です。
皇子たちは無茶な問題に驚きましたが、それぞれなりに探しにいきました。
しかし、誰一人として、本物の宝物をかぐや姫に渡すことは出来なかったのでした。


こうして、五人の皇子たちはかぐや姫をあきらめましたが、そういった噂はついにミカドにも届きました。
ミカドといえば、このころの日本の王様のような人です。つまり、一番えらいのです。


ミカドはかぐや姫に会いたいと願い、さすがにミカドの願いをかぐや姫が断りきることは出来なくて、手紙や歌をそれとなくやり取りするようになりました。
しかし、都へのお誘いや、結婚の申し込みなどは、かぐや姫はなんだかんだと断りつづけるのです。


おじいさんとおばあさんは、なぜ断り続けるのかを心配しました。
もちろん、かぐや姫が好きなように、幸せになるように生きて欲しいとは思っているのですが、なにしろミカドのお願いなのです。悪いようにはならないどころか、この世に娘として産まれて来たら、お会いできるだけでも幸せなことなのです。
理由を聞いても、はっきりとしたことはなにも言ってくれません。


そんな日々が続き、もうすぐ満月が美しく夜空に輝く頃になりました。
このごろのかぐや姫は、夜空を眺めてはさめざめと泣くようになりました。
なぜ泣くの、なやみごとでもあるの? とおばあさんが聞いてみると、かぐや姫は驚くようなことを告げました。


実はわたしは、普通の人間ではありません。
夜空に輝くあの月からやってきた者なのです。
次の満月になったら、私は月の世界に帰らなくてはいけないのです。
でも、皆さんと別れること、おじいさんとおばあさんをここにおいて置かなくては行けないことが、こんなにもつらく悲しいなんて……。


おじいさんとおばあさんは、目をぐわぁっ、と見開きました。
お互いの顔を見合わせ、わが娘が言ったことを確かめ合いました。
たしかにはじめは、竹の中にいたのですから、普通の娘ではないのは分かります。
しかし、まさか、夜空のお月様から現れた子どもだったなんて!
そして、この愛おしい娘が、もう月に行かなくてはならないなんて!


とりいそぎ、おじいさんはミカドに手紙を差し上げました。
ミカドも事の次第を読み、たいそう驚きましたが、あのような風変わりにも美しい娘さんのこと、そのような事情があったことに納得もしたのでした。
そして、ミカドは、お付きの者たちに命じて、かぐや姫をなんとしても守り抜くように命令しました。


帝の命令により、おじいさんの家はものものしい雰囲気に包まれました。
兵たちは屋根の上、庭、垣根と、辺りをかまわずがっちりと囲み、人さらいなど近づけないように固めます。
もう、これで大丈夫なのでしょうか?


しかし、かぐや姫は泣くばかり。こんなことをしていただいても自分が心苦しいだけ。月の人たちにはとても、普通の人はかないっこないというのです。
おじいさんとおばあさんはなぐさめましたが、かぐや姫の涙は止まりません。


そうこうしているうちに、いよいよ満月の夜になりました。
意外にも、静かな夜で、おじいさんたちは何事も無いかと安心しかけました。
ところが、不思議な音が突然村中に響き渡りました。


ごおおおおおおん、ごおおおおおん。
雷がなった後のとどろきのような音がしたかと思うと、満月の光の中から、とてもおおきな、銀色に光るお皿のような変なものが突然現れたのです。
大きさは、相撲取りの土俵が20個くらいはありそうです。
その大きな銀色に光るお皿は、空を飛んでおじいさんの家に少しずつ近づいていきます。


ミカドは、一瞬あっけにとられましたが、部下に命令して矢を射かけさせました。
ミカドの持っている中でも、一番優秀な兵士達です。つまり、日本で一番、上手に弓矢を扱える男たちです。
しかし、どうしたことか、矢は銀色に光るお皿のような変なものに刺さることはありません。
横に縦に、それていってしまいます。まるで、矢が当たりたくないと言って自分から逃げているみたいです。


あせるミカドは、なおも矢を射かけさせ、自分でも撃ちました。しかし、やはりそれていったり、届かなかったりします。
銀色に光るお皿のような変なものは、おじいさんの家の真上、ちょっと高い杉の木くらいの高さで止まりました。なんと、お空に浮いているのです。
きーん、きーん、と、耳ざわりな嫌な音がしています。そして、ぎらりぎらりとまぶしく光っています。ミカドも兵士たちも、思わず耳を押さえ、目を閉じてうずくまってしまいました。


銀色に光るお皿のような変なものの底の方が、ふすまのように開いたかと思うと、体中が銀色の人が出てきました。
顔があるのか、よくわかりません。
その人は、ちょい、と指をかぐや姫に向けて差し出し、おいでおいでをするように振りました。


ああ、もういかなくては。
かぐや姫は抱きとめるおじいさんや追いすがるおばあさんを振り払うと、銀色の人の方によろよろと歩いていきます。


さようなら、ほんとうにさようなら。
ながいながいあいだ、ほんとうにありがとう。
これはわたしからおふたりへのお手紙。そして、こちらはミカドへの贈り物です。
せめてこれを、わたしだと思って大事にしてください。
さようなら、ほんとうにさようなら。


かぐや姫はそう告げるのがやっとでした。


銀色の人は、さめざめと泣くかぐや姫の手を引いて、銀色に光るお皿のような変なものの方に飛んでいきました。
そして、ふところから薄く透き通った衣を差し出し、彼女の肩にかけました。
そうすると、かぐや姫はふわあっとふしぎな気持ちになり、おじいさんやおばあさん、ミカドや皇子たち、村人との想い出を全部忘れてしまいました。


さようなら、ほんとうにさようなら。


すべてを忘れる瞬間、その声は、かぐや姫を知るすべての人たちの心に響きました。


そして、銀色に光るお皿のような変なものは、満月に向かって飛び立ってしまいました。
まるで夢の中のようなできごとでした。
しかし、いつもいてくれた可愛らしい姫は、本当にいなくなってしまったのです。


おじいさんたちには健康を気遣うお手紙が、ミカドには不老不死のふしぎな薬が残されていました。
しかし、おじいさん、おばあさん、そしてミカドたちも、かなしみ、なげくしかありませんでした。


ミカドはおじいさんから不死の薬を受け取ると、部下に、この国で一番高い山のてっぺんで、その薬を焼いてしまうようにいいました。
あまりにもかなしくて、薬を使って生きながらえることなど望まなかったのでしょう。
そして、その日本で一番高い山は、このことから「不死の山」といわれ、それがなまって「富士山」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。


満月とお姫様の不思議なお話。
今もどこかの竹林に、この風変わりで美しいお姫様が、眠っているのかもしれません。


さて、突然、我流アレンジ版竹取物語なんぞを書いたのには、それなりに理由があります。
上に上げたストーリーは、すべて子どもの頃の記憶を元に、ほとんど調べること無くぶっつけ本番で書きました。
突然だれかに「竹取物語ってどんなお話?」と聞かれたら、多分、こんな語りをわたしはすると思います。(ですから、細部とかはたまた大きなところで、原作と大きく異なる部分があると思います。その辺はご勘弁下さい)


しかし、ここで重要なのは、子どもの頃に聞いたお話は結構覚えているものだということ。それから、子ども向けのお話は、世代を超えてかたり伝えられて行くべきだということなんです。


桃太郎、金太郎、かぐや姫一寸法師、カチカチ山、花咲か爺さん……。
みんな、原作はあってないようなもの。昔の人は子どもをわくわくさせたり、あるいは人として大切なことを教えるために、親から子どもへ口で伝えました。
伝わっていくうちに変化したり、見せ場が変わったり、いろいろなコトがあったと想像します。
でも、重要なのは、オリジナルを保持することではなく、お話を伝えることが子どもをわくわくさせたり、健やかに育てる基本となったことなんですよね。


現代でももちろん、形を変えて子どもにお話を伝えている人たちはいます。
幼稚園、小学校、児童館や図書館などで、お話会といった形で、現代の語り部たちは大活躍。そのときにはもちろん昔話も欠かせませんが、児童文学の作家たちの作品を伝えることも良くあることですね。


とっても前フリが長く長くなりましたが、本題の新聞記事はこちらです。

子どもを本に親しませようと図書館や幼稚園などで活発になっている絵本の「読み聞かせ」や「お話会」について、作者や出版社の団体が、著作権者への許諾の要・不要を分類したガイドラインを作成した。

ということで、その「ガイドライン」をダウンロードしてみました。


このガイドラインは全部で4ページ。
1ページ目は「読み聞かせ団体による著作物の利用について」ということで、前文というか解説というか。
2ページ目は著作者に無許諾で利用できる様々な場合について。
3ページ目は許諾が必要な場合に付いて。営利目的の場合は支払いが生じます。また、非営利でも作品を改編するような場合(拡大、ペープサート、紙芝居、触る絵本、布の絵本、エプロンシアター、パネルシアター、パワーポイント、OHP、その他の改変)や、表紙・本文画を利用するときなどは要許諾だとか。
最後のページは、許諾を得る時の申請書(出版社宛)になっていて、FAXで送るように定められています。


これを読んでいて、非常に「寂しい」と思ってしまいました。
わたしは児童館やお話会に、良く通った口です。また、母がそういったボランティアをしているんですよね。家事や仕事で忙しい合間を縫って図書館で絵本や紙芝居を借り、仕事の休日には児童館で子どもたちにお話ししています。
やっていることは昔、いろり端でお母さんが子どもにしていたことと大して変わりません。ただ、お母さんのお母さんが、お母さん自身が子どもの頃に同じように教えてくれた、そのお話を暗記して、その脳みそからしゃべっているのと、原作の絵本や紙芝居があるのと、そのリソースの違いはありますし、絵本作家さんたちの「作品を守りたい」という気持ちはわからないではないですけど。
ペープサート等の凝った方法で行う場合は、いちいち出版社にお伺いを立て、お許しを得なくてはならない……。なんか、絵本の世界を広く楽しむということにそぐわない気がするんです。
無償でお話会をする分そのものには特に構わないらしいのですが、その告知を図書館内にポスターで行ったりするときには、絵本の挿絵を使うわけですから許諾がいると。
なんというのか、勝手に使われちゃ困るって、絵本とか児童文学って、垣根を立てるべきものなのでしょうか?
わたしが子どもの頃に大好きだった絵本が、今の子どもたちの間でもロングセラーとして語り継がれていることがあります。これは、絵本が持つ雰囲気的なパブリックドメインっぽい空気に支えられている気がしてなりません。
一冊の絵本からコピーを使って、ペープサート等として見せることで、その絵本の世界が子どもに良く伝わり、それが故にオトナになってからも覚えていて、子どもにその頃の絵本を教えたり。いちいち許可が必要だとすると、なんとなく窮屈になっていきそうな気がします。


お話会はほとんどがボランティア。時間がない中でやっている人たちが、出版社の回答待ちという時間も取られてしまうというリスクも気になります。
もしも許可されなかったら別の絵本を別の出版社に聞かなくてはならないでしょう。
そして、許可されやすい出版社の本ばかりがペープサートの原作になっていく可能性もあります。それって正しいのでしょうか?
こういった許諾作業に時間を取られてしまう出版社サイドのリスクも気になるのです。小さな会社で、許諾の処理に時間がかかってしまう場合もあり得るのでは? 肝心の許諾に必要な時間は出版社に依って異なると思われる(即日で出せるのか、1週間以上かかるのかなど)のですが、そういったことについての情報はありませんし。


ぶっちゃけ、「固いこというな!」と思ったのは、わたしだけではないと思うのです。
絵本というソフトな世界にいきなり飛び込んで来たハードな許可制。
図書館やボランティア団体は、出版社と話し合い、妥当な線を引いて欲しいなと感じました。


日本には優れたお話が沢山あります。
冒頭に勝手に書いた「竹取物語」のように、パブリックドメインとして生きているお話だけではなく、現代の作家が書いたお話も同じように多くの人がそれぞれの形で楽しむコトが出来るはずです。
このガイドラインが、そういった語り伝えや愉しみの自由への足かせにならないか、非常に心配だと思います。
【本稿はd:id:Yuny:20060514:p1に続きを書きました。】

関連URLリスト(http://d.hatena.ne.jp/Yuny/20060515#linkに最新版があります)