松井秀喜選手の怪我!

テレビ等でもやっていましたが、松井秀喜選手がプレイ中のスライディングキャッチで左手首骨折の大けがをしてしまいました!

明らかにあり得ない角度に手首が曲がっています。
あれは……痛いはずです。

しかも、あの角度で手首を痛めていながら、何とかボールはグラブに一瞬収めているし、そのあともボールを返球しているんですよ。動く方の右手で! プロだから。
もう、何と言うか……心が震えました。

連続試合出場記録は途絶えてしまいましたが、それは非常に残念なんですが……。彼のポリシーそのものの数字。日本で1250試合、メジャーで518試合。ものすごい試合数です。ともかく、いつでも球場でプレイを見せられること。それにベストを尽くす。
どんな努力がそれを可能にしたのか、想像するにあまりあります。


今ごろ手術を受けているそうなので、まずはそれが功を奏することを祈るしかありません。
複雑な骨折で治療に時間がかかってしまうとか、難治療になるとかが無いことを祈ります。


実はそれほどヤンキースファンとか松井秀喜選手ファンとかいうわけではないのですが、私の部屋にはずーっと張ってあって、はがすことがなかなか出来ない新聞記事があります。
2004年3月31日、ヤンキースデビルレイズが東京ドームで行ったオープニングゲーム。それを大きく伝える読売新聞の記事(2004年4月1日朝刊)です。
アメリカでも46万世帯がテレビで試合を見ていたとか。
覚えている方も多いかと思いますが、このとき、2ランホームランを含む5打数2安打3打点の大活躍でMVPを獲得しているんですよね。
トーリ監督は「まるで映画のようだ」と絶賛し、松井選手自身も「最高に幸せ」だと語った迫力満点の試合。


期待がかかった試合でしっかりと実を結ばせてみせる。その一つの形に海を越えて驚き興奮した一夜。
この試合では2番バッターでした。松井選手自身は「自分の準備ができる前に出番がまわって」(読売新聞2004年4月1日朝刊記事より)きてしまう感じがしてこの打順は好きではなかったらしいですが、打順は監督がチーム全体を見渡して決めること。その選手の適性はもちろんですが、他の選手とのバランスなど、その選手自身以外の理由でも決めるわけです。だから、何番を打ちたいとかは、仮に選手が監督に言えたとしても、変えられるわけではないのです。「自分がコントロールできないことにイライラしてもしかたがない。出来ることに全力を尽くす」(同)と彼はこの頃、口癖のように言っていたそうです。
この言葉は、きっと、誰にでも当てはまるのでしょう。その一念が一つの夢をカタチにしたから、私はこの試合のことは忘れられないのです。この記事を壁からはがし、捨てられないのです。


さて、今回の怪我は、もうアンラッキーとしかいいようがありません。何度ビデオを見てもそうとしかいえません。
いつもなら地面の上をグラブが滑るようになって、あんな風な無理な力のかかり方はしなかったでしょう。しかし、たまたまグラブが地面に引っ掛かってしまったらしいです。
でも、過去は変えられないし、あのときスライディングキャッチを試みた判断は正しかったと思います。取れるか取れないか、分からないボールだけど、そういうボールも取りにいかなければならない。あのときその辺りを守っていたのは彼だけだったから。


「自分がコントロールできないことにイライラしてもしかたがない。出来ることに全力を尽くす」
今もこう思って手術を受けているのでしょうか?



思えば野球は時に残酷なスポーツです。
どう、ボールが飛んでくるか、外野手にはコントロールできるはずもありません。
ただ出来るのは、自分のところに飛んで来たボールを的確にさばき、返球し、アウトを狙うこと。


私は大学の時に1年間だけソフトボール部でライトを守っていました。
小学校時代に多少経験はありましたが、フライと速いライナーは慣れるまでキャッチングに時間がかかりました。やっぱり怖いんですよ、ボールが飛んでくるのって。腰が引けてしまったら取れるものも取れないんですけど。それは分かっていても怖いものは怖かった。
腕力はあったし、肩は結構強い方だったので、バッティングや返球とかは好きだったのですが、それ以前に「来たボールを正しい姿勢でがっちり取る」というこの基本。これを怖がらずに出来るようになるまでは本当に時間がかかったものです。
似たスポーツをちょっとかじっただけの身ですが、少しは分かります。横っ飛びしたり、スライディングしながら取れるのって、本当にすごいことなんです。そして、体重のかかり方に依っては本当に危険な行為なんです。


今は松井秀喜選手の手術成功を祈るだけです。
そして、明日、フィールドに立つすべてのアスリートに、怪我が無くベストなプレイが出来ることを、願ってやみません。