千里眼とニュアージュ(完全版)

千里眼クラシックシリーズ最新作です。あのオネエ系カウンセラー・一ノ瀬恵梨香と岬美由紀がきちんと出会うお話。


本書の「萩原県」はまた思い切った設定で。働きたくない・働けないヒトに無償住居(小さな戸建てが中心らしい)・無償医療・無償給食・無償美容(理容)・無償スポーツ施設と最低限の収入(月10万)が得られるようにした地域(県もどき)を民間企業が提供するという。ある程度の生活が保障されるためにほとんど犯罪が起こらない。ほとんどの情報提供システムや交通機関はIT化が進み、鉄道も「ゆりかもめ」のような無人運転。ほとんど誰にも会わずに生活できる。何もしなくて良い状態。本当の意味でのニートになれる。
……う〜〜〜〜〜〜ん。


もちろん、本書では実は陰謀が裏にはあって、この県の運営で無尽蔵に手に入るあるものを使って、運営企業がたくらんでいるとんでもない計画があったり、その計画がどんでん返しに遭ったりするんですが。だから一ノ瀬恵梨香と岬美由紀がそれぞれの悩みを乗り越えて大活躍するんですが。表向きは宣伝目的、裏では……? という。


それはそうとして、このシステムの是非を考えてみたのですが。
私が1年間働いていなかったときのことを思い返すと、あれこそ本当につらくて仕方が無かったので。自分の力で収入や社会的なかかわりを持つことができない状態というのは、自分が社会から逃避して望んだ生活だったとはいえ、決していいものじゃありませんでしたよ。自分の存在意義を疑って疑っておかしくなりそうだった。当時のはてなダイアリーを見ていると、今でも心が痛みます。


だからといって、逃避もできない社会がいいかというと、それも違うと思うんです。働かない・働けない→ホームレス直結、というのがいいかというと、それは絶対に良くない。派遣切り問題を考えていると、企業は簡単に切るな! ……と思うのです。リストラとかいって正社員も切るときは切る、と。そんなことをしたら誰も生きていけなくなる。企業が切ってしまうのはある面で仕方が無いところもあるけれど、その切られてしまった人を偏見なしで温かく迎えられる社会になって無いし、自治体の支援も心もとない。


働かない・働けないヒトには、心理士のカウンセリングを無償とか格安で受けられる制度とかあるといいんですけどねえ……。たいてい、自尊心が少なからず傷ついていると思うので(単に企業や社会の都合に振り回されちゃっただけで、その人自身には非が無いケースが多いのではないかと思いますが、やめさせられてしまったら自分が嫌いになってしまっても当たり前だと思うのです)。
精神科だと健康保険も使えますが、保険料すら払えなくなっていても仕方が無いし、精神科の医療費や薬価は内科で簡単な風邪を治してもらうとかよりははるかに高いことが多いので(経験則)。また、精神科は薬でココロを治そうとするけれど、心理カウンセリングまでは手が回らないことが多い。精神科医が臨床心理カウンセリングもできるかというと、必ずしもそうでも無いですし。心の状態を聞いて、薬を出す。これだけといっても過言じゃない。そのお医者さんの人柄とかは別問題で、医療システム的に精神科医は薬を出せば終わりにできてしまうし、そうじゃないと仕事が回らないのです。
そして、心理カウンセリングにはたいてい健康保険が効かない。心理士の国家資格は無いし。


この国の医療制度は、精神医療には厳しい側面がある。
すべての労働は、ココロが支えているというのに。
ココロが砕けてしまったら、その人は労働者として終わり、というのがこの国の暗黙の前提になっている気がします。


萩原県を支えていたのは、私企業の黒い陰謀でした。そうでもしないかぎり、この国では社会の階段を登ることができなくなった人を支えることはできないのでしょうか?
私は、松岡流の痛烈な皮肉を、この作品全体から感じるのです。