ないを書ける日本語、あるしか書けない英語(自分の中では)

日本語で自分を掘り下げる文章を書いていると、どんどん悲観的になるのに、つたない英語力で同じことを書こうとすると、どんどん楽観的になる……自分の場合は。


これ、「悪魔の証明」に似ている。「ある」ことを示したければ事例を一件挙げればいいけど、「ない」ことを証明したいときって非常に難しいよねって言うお話のあれと。
英語力が乏しいから、「ある」、と、とりあえず主張してみたくなっているだけなんだろう。
日本語の方が慣れているから、より高度な「ない」方向の言葉を書いてしまうのだろう。
だから、日本語ではついつい悲観的になってしまうとしても、それを悲観する必要はないんだと思う。むしろ、最悪の事態を想定して行動できる慎重さがあるんだからいいじゃないか。そう思えばいい。


と、日本語でちょっと前向きなことを書いてみた。そういうことを書くことに対して、悲観的になる必要はさすがにないだろう。