「なぜ○○はうまくいかないのか」のうそっぽさと、力技アプローチの難点

最近、書店……特にビジネス書などのコーナー……で本を眺めていると、「なぜ○○はうまくいかないのか」といったタイトルの本をよく見かけるようになった。ここ数年、いや、1〜2年の傾向だろうか?
たぶん、かの「さお竹屋」の本がブレイクしたあたりからではないか、とは思うのだが、こういう題名の本にはどうにもうそっぽさを感じてしまう。
ある問題があって、それを一般的な手法や常識で解決しようとするとうまくいかないが、著者の考案した**式ならこんなにうまくいく、とかそういう類のハウツー本……。不安な時代だからこそ、こういった処方箋がよく売れるのだろうが、かならずしも自分のケースにあてはまるわけでもなし、未知の要素によるトラブルはそれこそごまんとあるわけで。
こういった本にはたいてい、実例で試してうまくいったというような、ケーススタディが紹介されている。
しかし、この自称「実例」も、不確定要素を可能な限り廃し、説明する必要のない(と著者が判断した)不都合や細部の情報は除外されていて、あまりあてにならないと思う。


占いがはやったり、血液型性格判断の真偽が話題になったり。
先の見えない時代だとみんなが思い込み、指標を求めているから、こういうあいまいな情報が売れる。
冷静に考えれば、すべてうそっぽいか、参考にならないかのどちらかであることが多いだろうに。


こういうことを思っていて思い出した。
私事だが、かつて長く付き合いのあった友人が、自己啓発ビデオに傾倒し、それに懐疑的だった私と意見が合わなくなって、結局友情が壊れてしまったことがある。直接のきっかけはその自己啓発だったと思うが、ほかにも細かいところでのいさかいを列挙すればきりがない。彼女とは会うたびに私の至らない点を責め立てられたりし、改善しようと言われていた。それが彼女は使命だと思ったらしいのだが……直接はいえなかったが、正直なところ最後のころは苦痛でしかなかった。面と向かって「これからの人生、わたしはレベルの高い人間としか付き合いたくないの」と言われたら。


しかし、彼女のほうが人間的な個性が強かったし、知識の力もあったし、社会的な成功も収めていたし、人脈も広かったし、年収も多かった。つまり、彼女のほうが成功者で、私は(そういう言葉はないと思うが)あえて言うなら失敗者だった。私は失業してニートになったりしていたので、彼女と立ち向かえば必然的に自分を卑下するしかない。そうだというのに彼女のほうから私に自信と自身を持たせようとしていたようだった。彼女がやる限りはそれは無理だと思える、今なら。あの力技のアプローチでは素直に言うことを聞く気にはなれなかったと思う。「自分が悪い」と教えてもらったり、学ばせてもらったり、気がつかせてもらったとしても。


つまり、ある方法で自分が成功した人は、その方法こそが万能だと思い込む罠にはまりがちだということだ。
そして、その方法や観点が万人に当てはまり、そういう方法をしていないから人生がうまくいかないんだと他人の人生に割り込んでくることが、往々にしてある。
正直、人生の未開拓者にとってみればありがた迷惑この上ない。勝手にこちらの土地を荒らさないでもらいたい。しかし、相手がこちらより強気だと言うに言えない。


自分のメソッドは自分の手で探し出すしかないのだと思う。
人より時間がかかったり、うまく行ってないように見えたとしても、その人自身がヘルプを出さない限りは、基本的にはほうっておくのが一番だと思う。失敗しなければわからないことなんていくらでもあるし、もしかしたら自分のときとは別の要素が働いて、うまくいくかもしれない。それがどうなるかは神様でもない限りわかるはずがないのだ。


とはいえ、今でも彼女の悪影響は続いていて、電車や町を歩いているときに彼女と容姿や雰囲気が似ている人を見かけると、またいじめられるのではないか、責め立てられるのではないか、しかられるのではないか、追い詰められるのではないか、と、一瞬身構えてしまう。別れてから2年以上経過しているというのに。それに、それが彼女であったためしは1度しかないのだが(お互いに無視した。それしかなかった)。
正直、苦しくて仕方がない。もう死んでしまったほうがよほどましだと思ったことは何度もある。今もある。「彼女の言うような生き方ができていないから、自分は死ぬしかない」と思うことは毎日のように多々あるのだ。
でも、とりあえず、自分は細々と生きている。我慢して生きている。
負けん気というのでもないが、死んだら終わりだから。


人生に成功法なんて、きっとないんだと思う。
あるとすれば、後から振り返ったらたまたま自分の場合は成功した、というだけのこと。
他人に押し付けるのは、よほどの確証や客観的実験データ、批判的観点からの実証がない限り、やめたほうがいい。
自分自身を失いたくなければ、メソッドは疑ってかかるべきだ。