雨過ぎる日に原発を危惧

雨が多すぎる、というか、雨量が多すぎる、というか。
雨、という事象自体が天から水が降ってくることなので、雨過ぎ、っていうコトバもありかなあと。
コトバ遊びはともかく……テレビで各地の豪雨を見ていてびっくりしました。でも、一番びっくりする事実は、これ、ただの低気圧であることなんですよ(台風でもなんでもなく)。
天も地も災難列島の今年。なんだか、まだ終わった気がしないのです……。福島原発の現状が心配で。あれはとにかく冷やして冷やして冷やすことなんでしょうけれど!


昔、小林弘利さんのジュニアノベルで、核兵器の原理の発見者のひとりであるアルバートアインシュタイン博士が、なぜか鳥に生まれ変わって原爆被害国である現代日本を訪問。(彼から見たら未来である)日本は戦後の大復興を遂げたばかりか、原子力発電の実用化に成功したことに感激しますが、万一の事故や安全への対策がまるでなっていないことを知り愕然とするという話があったと思います。もう、10年以上前に出た本ですが。物語中では、彼のような知的天才からしてみれば、何かの技術を実用化し産業として用いるには、安全対策も完全に講じられて初めて生産ラインに乗る、というのが当然だった、という話です。それが、事故が起きたらおしまいの、いわば薄氷の上を歩かされる状態で運用されているのです。



最先端の科学でがっちり守られている、と喧伝されていながら、実はひたすら人海戦術で運用されていた……原発の日常が少しずつ明かされています。たとえば、除染作業はぞうきんがたよりだとか。


でも、産業がない地域では、原発が雇用を創成し食べていく道筋をつけていた、というのもまた事実で。……なんだか構図が在日米軍基地問題にそっくりな気がしてきました。だから原発はそうは止まれない。基地が日本からなくならないのと同じで。
必要性を喧伝して、コストを負担させて、見た目の利益を地元に誘導して、本当に危険から逃れて笑っているのは霞ヶ関です。


東京都民として、なんだか自分が情けなくて恥ずかしいとも思っています。最近では。いろいろなことを知らなかったことも、すこしずつながら知った上でも。
自分の立場がいろいろな方々の犠牲の上に成り立っていること。
そして、それを放棄して負担する側へ廻る勇気もないことが、情けなくて腹立たしい……。


本当は、どの地域に住んでいても同じように負担があり、同じようにそれなりの利益を得られた方が平和なのではないか、という気がします。
まあ、それで経済や産業を積極的にまわすのはまた難しい問題ですが。


どうすればいいのか。問い続けています。