改めての3.11

Yahoo!さんが3.11の検索キャンペーンを今年もやっています。
別にまわし者じゃないですが、紹介しておきます。

https://www.yahoo.co.jp
で『3.11』と検索
Yahoo!さんが10円を復興支援に寄付。

で。

改めて3.11を振り返って。
あの日、私はいつもの大学勤務。
学生が自由に利用出来るパソコン室で、いつものように春休みの対応をしていたのです。
授業はないので、新学期準備とかの学生さんがそこそこいるくらいで、そんなに混雑していなかった昼下がり。
突然の変な地震。変に長い地震
同僚が学生さんたちに、机の下に入るよう、すぐに大声を出してくれたのを今でも覚えています。
自分はそこまで冷静に判断できず。机の下にて震えていたような。
コレはヤバい、と。震源どこだ、と。
確かあのとき、大きな地震はほどなく2回あり。2回目の時は廊下を巡回していて、校内のエスカレーターの脇のベンチ下にすぐに隠れました。
エスカレーターって、板なんですよね。動く階段に見えますけど。
ガンガンガンガンと大きな音を立てて、余震とはいえ怖かった。
そのあと、校内放送や所属部署の指示に従い、学生さん達を中庭に避難。
当日は鉄道がとまったため、私は校内に一晩、残らせていただくことにしました。
地元の方や、通りすがりの方が避難してこられるので、少しだけ誘導のお手伝いをしました。確か、小学生の女の子とお母様を教室に案内して差し上げました。あのお二人は今でもお元気でしょうか?
ともあれ大学なので、教室のプロジェクタでテレビを映せます。校内避難のみなさんとNHKニュースで見たとんでもない津波津波対象エリアが日本地図で赤や黄色で示されるんですが、あんなに広いエリアが対象になるのも初めてで。これから日本はどうなってしまうのかと不安になりました。
そういえば、夕飯とかどうしたのか、よく覚えていません。備蓄からカンパンとか多少頂けたのかな、とは思うんですが。
何とか夜を明かし(一応、スタッフにも休憩室を確保していただきましたが、ほぼ眠れず)。
翌朝、鉄道再開を受けて帰宅。空が明るくなること、いつもの鉄道が動いていること。それがこんなに心強いとは。

震災から程なくして、東北の友人に連絡が取れ、水や避難先の地図情報など足りないモノ・コトを送ったりして。
あの時は東京でもミネラルウォーターが品薄になりましたが、被災地よりは手に入るのでなんとか。
地図情報、当時はスマホがあまりなかったので、パソコンで地図を編集してコンビニファックスで送った記憶があります。ガラケーでも受信に必要な文字列はメールできましたし。
震災のあとって、情報が生死を分けることもあるように思います。別の土地から見た地図情報っていうのは、今から思うとなかなか重要だったのかもと。
はてなさんでも義援金やってるので少額ながら参加させていただいたり。
遠隔でできることを色々としていました。公的な支援物資募集に粉ミルクとか持っていったりとか。
それにしても、東京にいると震災のことはどうしても過去に思えてしまう。ぜんっぜん、現在なんですけど。
そういえば、震災前の2009年夏に、その東北の友人を訪ねたことがあります。
その時の日記。楽しい旅でしたが……。
https://yuny.hatenadiary.com/entry/20090812/p1
震災前ですが、何故かこの時、福島の原発問題に私は触れていました。あの友人ととくに大きな話題になったわけでもないのですけど、東京の地方依存問題がこの時、気になっていて。
その2年弱後に震災、福島の原発事故も起きてしまいました。
原発事故さえなければ、今の東北復興は全然違ったはずです。第一、福島県に頼んで東京の電力供給施設を造らせてもらったので、ことは福島県の問題だけではなく、東京の問題なんです。そのことに無自覚なのは、都民として少なからず無責任に思えるのです。何ができるかってのは分かりませんけども、無関心というのはよくないと思います。
原発設計当時にタイムトラベルして、このままの設計では未来にこうなりますよ、って、事故当時の各種報道を原発設計責任者さんに見せてあげたいって、何度も思いました。原発を造るか否かも含めて、もう一度議論して欲しいって。
起きてしまったことは仕方ない。もう繰り返さないことしか、ないのですけどもね。
今の災害は、過去の想定を大きく超えてきます。大雨、台風、色々と。放火など人災もまた、想定外でありました。
ちょうど今はウイルス災害、新型コロナウイルス問題が起きていますが、これもまた過去の想定を色々と超えてきました。まさか東京五輪直前になってこんなことになるとは。
想定をして対策することに限界を感じてしまいます。
それでも、何もしないよりかは、きっと。