働くと引きこもりは紙一重

標題が自分の正直な感覚だ。
よく、就活は縁、っていう。
縁のあって採用された会社(など)で働き始めた場所が、自分が会社に合わせるのがそんなに苦痛ではない場所だった。そうならばやがて慣れて、日々出社できるようになる。
でも、そんな幸運に恵まれた人ばかりではない。
たどり着いた場所が針のむしろで仕事をするどころじゃなかった、なんてことは、
なにか間違えば誰にだって起こり得る。
そして、そんな場所ばかりに出会ってしまい、就職をやがて諦めてしまったら。
引きこもりになっても無理はない。
自分もかつて、前の職場をある事情から退職となった後、半年、実家へ引きこもりに。まあ、家事はそれなりにしてはいたけど、毎日が苦しかった。
転機になったのは、吹奏楽自由演奏会。縁あって参加して、すっごく楽しくて、こういう場所にちゃんと出るためには自分にはお金とか物とかのリソースがないことを理解して、それがハローワークへ行くきっかけになった。
で、たまたまハローワークでマッチングさせてくださった新しい場所が、それなりに居心地の良い部署だったので、なんとかどうにか今日に至るまで続けてこられている。
もし、このご縁がなかったら、自分だって引きこもりを続けていたかもしれない。
社会って、誰にとっても何かしらは難しい場所だと思う。そりゃそうだ! バラしてしまえはいろんな考えを持つ人間の集合体。それを、無理やりにルールや空気感でくくり、あるいは分けて、みんなが都合の良いように組み立てたものだもの。どこかしらいびつで、何かしら自分に合わない。それだから自分が合わせる面は多々ある。そこにある程度は鈍感でないと、生きていけない。敏感な人は、社会に出られなくなってしまって、ある種の劣等感を抱えてしまう。
それでいいの?
それぞれの問題を解決できれば、そういう人だったからこそ、できることがあったかもしれない。
例えば、引きこもっている間にオンラインゲームをやり込んでいた人なら、その経験を今度はゲームを企画する側に活かせるのかもしれない。もちろん、その人次第な話ではあるし、そう甘いことじゃないとは思うんだけど、方向性としては、まったく無いとは思えない。
引きこもっていた間に社会との付き合い方が分からなくなったなら、もちろん、その辺りのリハビリも必要ではある。自分にも前述の就活でこれが必要だったのだけど、ハローワークで実質的に社会へのリハビリになる形になった支援を受けさせてもらえたので、何とかなった。具体的に言うと、隔週でハローワークの担当者さんに面談してもらうこと、それ自体が、社会に再び出る準備になったのだ。あと、就活での面接の練習とか、自己分析とか無理のない目標の持ち方とかは本当に参考になったし。
そうしたことは、親御さん一人で到底できることではないし。
引きこもりのご家庭の方には、何かしらの機関に相談をする勇気を持ってほしいと思う。
ともかくも。今の時代、どこのご家庭でも何かのきっかけで引きこもりになることは起こりうるので、そこを非難するようなことはやめてほしいなと思う。いわゆる他人を巻き込むなら一人で死ね論に、そうした空気を感じて、ひたすら怖い。
同じようなことで、他人に迷惑をかけるな、というのは、一見マナーが良いことでいて、下手したら問題を抱え込んでより悪い結果になってしまう。子供が電車で泣いたからって迷惑がる人がいる。人によっては舌打ちすらする。馬鹿野郎。自分だってかつては子供で、その時の周りの大人に『迷惑をかけて』大きくなったのに、それを忘れて何様のつもりだ。大小便ひとつ、最初から自分で始末できたわけではあるまいに! それに、そういう人が多かったら、赤ちゃんを抱えたご家庭の方が、ますます公共交通機関を利用した外出ができにくくなるじゃないか。赤ちゃんは未来人だ。こころない舌打ちひとつで、誰かの人生を変えちまう可能性を考えられない人はやっぱり馬鹿野郎だ。
脱線したが、なんというかな、かけて良い迷惑ってある。うまく言えないけれども。そういうのとか、相談とかは、人として当たり前で、恥ずかしいことじゃ無いんだよなぁ。
自分はパソコンなどの相談をされるのが仕事だから、余計にそう思うのかもしれないが。
あの2つの大きな事件と似たような問題を抱えられた方に、どうか何かの幸あれと願いたい。願うことしかできないけれど…。