イマキュレートハート作品展

当日の告知になってしまいましたが。
八王子、いちょうホールにて、毎年恒例の作品展に出展します。
もしお近くに来られましたら、お寄りくだされば幸いです。

今回もしつこくQuartz Composerです。USB webカメラをOHC(書画カメラ)ライクに使い、紙に描いた絵を取り込むと雲が描かれる作品です。

ただ、次期macOSからはQCがサポートされなくなるらしくて、どうするか真剣に悩んでいます。
いくつか、この種のインタラクティブコンテンツ作成ツールをスクリーンショットなど見ましたが、商業系はかなり高いし(万単位)結局はQCがいちばん使いやすくて。

ともあれ、今回はQCです。

『第25回イマキュレートハート作品展』

千尋とカオナシの就活

昨日、金曜ロードショーでまた『千と千尋』をやっていた。
この映画、最初の方では千尋の声優さんが正直かなりぎこちなかったけども、中盤(オクサレ様だと思われていた川の神様を助けるあたりかな)役をつかんだのか、上手くなっていくあたりがすきなところ。
終盤では冒頭とは別人のように上手い。
最初の方は異世界に巻き込まれてぎこちなくて不安で緊張している、というのを演技しなくちゃいけなくてそうなったのかもしれないが。
さて、千尋とともに声優さんも成長する物語でもあるこの作品。
千尋にちゃんと契約書を書かせるところが昨今のブラックバイトなどよりちゃんとしていると思ってしまった。まあ、微妙に名前を書き間違えているんだけど(このシーン、間違いではなく意図的で、自分を雇用者=湯婆婆から支配されないため、という解釈があるらしいが)。
ともあれ、千尋にとっては人生初のアルバイトだ。
最初は雑巾掛けすら遅かったが、オクサレ様を助けたり、カオナシ騒動でカエルたちを吐き出させたり。何より、彼(?)は油屋にいない方が本人のためになる、と見抜いたのは子供ながらに鋭い慧眼だ。
その慧眼と優しさゆえ、ハクが本当は川の龍神だと見抜き、真名を思い出させて湯婆婆の支配下から解放することができた。また、最後の両親はこの豚の群れの中のどれなのか? という謎かけにも見事に勝利。あの場面で「いない」と見抜いた千尋は本当にすごい。寓話『裸の王様』で、王様が裸だと素直に言った少年を思い出す。
さて、『千と千尋』のひと通りのメインストーリーはこんなところとして。
あの脇役にスポットを当ててみよう。
カオナシのことだ。油屋にも入れずぼんやりして、行くところもなく佇むだけだったが、千尋が親切にも雨に濡れないように引き戸を開けてくれる。嬉しかったので、彼女の気をひこうとし、それとなく仕事をサポートしたが、金のプレゼントは受け取ってはくれない。彼は寂しさと欲望のあまり騒動を起こしてしまうが、千尋カオナシから余計なものを吐き出させてくれ、スッキリさせてくれた。さらに銭婆のところへも同行させてくれ、最後になかなかやりがいのある仕事にたどり着けた、という、カオナシの自分探しと就活のストーリーとして鑑賞してもなかなか面白い、と、今回、気がついた。
カオナシはあれでなかなか手先が器用な妖怪だったようで、最終的に千尋の紹介で就いたのは銭婆の糸紡ぎ手伝いという仕事だ。まあ、彼(?)の雇用契約書がどうだったかは描写にないが、才能を活かせる適職だし、それなりにホワイトな雇用条件だったんじゃないかと想像する。千尋の髪飾りを編み上げる彼はなかなか楽しそうだったし(表情のない役だけど、姿勢だけで楽しんでいるのが伝わってくるジブリの作画力の高さ!)。そもそも、銭婆がカオナシにもお客様としてケーキを出してくれるくらい親切な人なので、湯婆婆ほど無茶はさせないだろう。
この髪飾り。最終的には、千尋が油屋に行ったことは夢でも幻でもないことの証明になる重要アイテムとなる。あの世界から持ち出せたのはこの髪飾りだけだったので、カオナシの初仕事は素晴らしい成果を上げたと言える。
こうして書いて行くと、千尋にとってもカオナシにとっても、この物語世界は労働によって回っていることがよくわかる。
何もしないでそこにあって美味しそうだからと、神様への供物を食べてしまった大人は何もできない豚にされたが、働きたい意思を示した千尋は人間であること、千尋であることを保ち、最終的に現世に帰ってくることができた。もしも彼女が欲望に溺れて怠惰なタイプだったら、あっという間に豚にされてしまったはずだ。
ついでに書いておくと、雑菌に感染しないようにと湯婆婆から引きこもりにされていた坊も、銭婆の気まぐれでネズミに変えられてかえって身動きが取りやすくなったので、千尋の冒険について行くことができた。布団を被って不機嫌にこもっているよりも、銭婆のところで糸車を回している方がずっと楽しかったのではないかと。
坊は一応、湯婆婆のところに戻ったのだが、千尋が現世に帰った後も、時々は銭婆やカオナシを手伝っているんじゃないかと思う。
というわけで、小さな少女の功績。
・ススワタリ救出
・川の神様の浄化
カオナシ就職
・坊を引きこもりから解放
・ハク解放
・両親解放
・自身の現世復帰
子どもでも、勇気と優しさがあればこれだけのことができ、異世界の大人と渡り合えたのであった。
ところで、なんで迷い込んだ先が異世界の温泉旅館だったのだろう?
それはさておき、旧作を改めていつか映画館で鑑賞する機会があったら良いなと思う。テレビ画面だとそうした街もちんまりだが、あの大画面であれば、街がそこにあるように感じられるはずだ。
調べたらドリパスに上がっていたが…。
https://www.dreampass.jp/m163027

天気の子

映画『天気の子』を観てきた。
最近の異常気象をヒントに制作されたということで、もしも東京が数十日連続の降雨に見舞われ、それを晴らすチカラのある少女がいたら…という映画だ。
新宿をはじめとする都市のディテールについてはくどいくらいに細かく描写されていた。当該の街を何度か歩いたことがあれば、ここがどこだか分かるというか。たしかに某求人広告トラックは派手な音楽流して廻っていることがあるし(渋谷あたりで見たことがある)。Yahoo!知恵袋マクドナルドなど、プロダクトプレースメントなのかなんなのか、アニメ化された新宿の一つの完成形だと思う。あそこまでクドクドと新宿や田端などを描くのはその街でキャラクターが生きているリアリティの描写のためだと思うが、最初の方では情報の多さで悪酔いしそうになった。あまりにもリアルで知っている街なもので。
で、肝心のタイトルロール、天気の子はなぜこんな能力者になってしまったのか。一応、劇中に説明はあるものの、何故彼女だったのかは中途半端なまま終わってしまった。せっかくあそこまで迫力のあるシーンを描いていながら、そのチカラの源泉について、あるいは少女が天空に飛ばされたことについてなど、不思議な現象についても説明不足だったのがちょっともったいなかった。そのあたり、『君の名は』では説明が入っていたように思う。旧エヴァ劇場版みたいな全力で投げっぱなしも一つのやり方なのだけれど、そこまで投げっぱなしというのでもなく。説明しているのにどこか不足している感があって、映画が終わったときに消化不良な印象。中途半端なのはこういう映画ではよくないかと。
ただ、そのあたりの謎は置いておいても、あんなにまで守りたいものがあるか、今の自分には無いように思えて。中学2年生の夏にはあったんだがなぁ。つまらない大人になりたくはなかったんだけど。青春映画って、この歳になるといささか痛いものだな。
ちなみに、例のシン・エヴァの予告が映画館で観られてラッキーだった。やはりアニメ系の作品ならあの予告を観られた。もちろんスマホでは何度か観ているが、劇場はやっぱり違う。あの迫力をちゃんと観られるのも楽しみにしておこう。

岩田さんの本を買ってきた

『ほぼ日』のリアルショップ、『飛び地』で岩田さんの本を買ってきた(先行発売)。
まだ読み途中だけれど、ファミコンが育った時代を体感した者としては、ファミコンソフト(と、後々の任天堂ハード)を作られた方がなにをお考えだったか、というのに興味がある。
このところiPhoneで読んでばかりだったのに紙の本で買ったのは、『ほぼ日』購入特典のキーホルダーが欲しかったためではある。しかし、装丁が手触りが柔らかい紙なのにしっかりしていて驚かされ、紙で買ってよかったと思った。カバーを外してみると、本の本体にさらにカバーが折り込まれて貼られる構造で、しっかり補強されていた。この本が長く持つようにとの願いを感じた。紙の特性だ。
さて、岩田さんが『Mother2』開発に参加した時のエピソードは有名だ。この本にも114ページ目くらいのところにある。
開発が行き詰まってから、チームに彼が参加したとき、ゲームそのものを作るのではなく、ゲームを作るための道具の方を整えた話だ。そうしたら目に見えてうまくいって、形になった。
この考え方…何か物事がうまくいかない時は、急がば回れで環境の方に時間や労力を投資した方が良いというのは、ゲーム事業でなくても、なにかとあることではないだろうか。たいてい、何かがうまくいかなくなるまでに色々とためしていて、その結果としてのリソースはその辺に転がっていたりする。ただ、組み上げどころが分からなくなってしまっていただけで。それまでの開発が無駄だったわけではなかったので。ただ、チーム内だけの視野では、こうしたことが見えてこないのだ。
まだ読み途中だ。元原稿は『ほぼ日』などだから、読んだことがあるものが多いが、紙の本として読むと、よりスッと入ってくるものがある。
何かを作りたい人は読んでみるといいと思う。というか、自分が励まされている感、あり。

岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。

岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。

エヴァQ、再見。

エヴァの公式アプリで序・破・Qを無償公開していたので、この期間を使って見直してみた。映画館ぶり。
が、やっぱり。
『破』の感動的なラストからあまりにも変わり過ぎてて視聴者置き去りっていう印象は変わらず。困惑だけを大量に残して終わった。
まあ、作り手の意図だと思う。分かりやすく説明するならいくらでもチャンスはあったし、そういう作り方なんていくらでもできたはず。
視聴者とシンジくんに、思いっきり『Q』(疑問)を残しまくって終わらせるのがこの章の意図だったんだろう。
でも。
視聴者的に頼りになるのは、カオル氏曰くの「希望は残っているよ、どんなときにもね」というメッセージ。

で、何が困るって。
いろんなことの仕掛け人はおそらくゲンドウ氏、シンジくんの父上だと思うのですが。
彼が冬月さんという、とても理性的そうな方をも、というか、地球の人類全員をも! 巻き込んででもやりたいことってのが、本当にさっぱり分からないんですよ。
旧テレビ版では亡くなられた奥様に逢いたいから色々していた、ということだったと思うのですが。あのバージョンにしてもよく考えたら「死んだ妻に逢いたいから世界中の人類を破滅させてでもあれこれしてしまおう」って、技術的に資産的にそれが可能な立場にいたとしても、普通はやらないと思うし、常識人っぽい冬月氏は友人としてそれを止めようとか思わなかったのかと。
あと、これはネットの噂で確証がないんですが、使徒が攻めてくるからエヴァを作って地球と人類を守ろう、というのは真実ではなくて。人類がエヴァ(の原型やら作り方やら?)を見つけてしまったので使徒の皆さんがそれを止めに来た、というのがエヴァの話の本当のところらしいとか。そんなものを人類が使ったら大変なことになっちゃうから。実際、Qまでで本当に大変になってしまったし。街も国も全部真っ赤になっちゃって、人類ほぼ滅亡していますもの。
ともあれ、少年漫画でなんか謎が発生して「主人公はどうなっちゃうの? 次回へ続く!」ってヒキはよくあるんですけど。
エヴァは度を越したヒキで困惑です。考察だの解説だの結構読みましたが、結局は『Question』しか残らない。
来年6月には解決しているんでしょうか?
どうも、そうは思えないんですけどねぇ……。困ったもんだ。

梅雨時の飴保存にフリスクネオの空き缶がオススメ

フリスクネオが結構好きで、時々買っていたのですが、スチール製のこの空き缶がもったいないなあ、と。
持ち歩けるサイズで、中に乾性の食品を入れておける密閉性があり、蓋の開け閉めもラクラク。何かに使えそう。
色々試していましたが、細かな文具(クリップなど)を入れるほかに、飴ケースにするのが良いと気がつきました。
ここで言う飴は100円強で11〜12個入りのものです。ホールズ、のど飴など紙包みの四角い飴ですね。袋飴ではなく。
まず、フリスクネオを食べ終えます。
缶の中をウェットティッシュで清掃します。ウェットティッシュはピンセットで挟み、缶の奥までしっかりと拭き取ります。
中が乾いたら、飴をピンセットで挟んで入れていきます。指では奥までうまく入らないんです。4個×3段で入ります。ただし、ホールズなど12個入りの場合、12個びっちりと入れてしまうとあとで取りにくいので、最後の段は3個、全11個でやめておきます。1個目は作業しながら食べてしまいましょう。
このままでは中の飴が何味か分からないので、飴のパッケージにある商品名ロゴの裏に両面テープを貼って切り抜き、缶に貼り付けて完成。
飴を紙包みのままカバンに入れておくと潮解してベトベトになりやすいですし、最悪、湿気で溶けてカバンやポケットを汚してしまうこともありますが、このケースなら割と大丈夫です。
梅雨時の飴保存に便利に使っています。

早くもスピンオフ要素が…

いやぁ、エヴァは最初の10分でがっちりこちらを掴んできますねぇ。
冒頭にあった機械に遺された書き置き、あれが気になってしまって。日本語に訳すと「後をお願い」というアレです。赤で書かれていたのもなんか演出的な意味がありそう。
作中ではそのエンジニアさんがたまたま赤いマーカーを持っていたのか、血文字なのか(でも経年劣化で黒くなるかな)、はたまたここはオシャレな街なのでルージュだったのか?(ちょっとくっきりしすぎかな?)その辺はわかりませんが…こういう、機械に人間が書き置きをする、というと、どうしても旧版にあったマギの中の書き付けの山を思い出さざるを得ませんね。
そして、その彼または彼女に何があったのか。どんなキッカケでネルフに入ることになり、何を思って働いていたのか。大切な人はいたのか。猫は飼っていたのか? 好きなお酒は? などなど。
いずれにせよ、危機に瀕してあんな書き置きを残されたのは、なんとなーく女性だったんじゃないかなぁ、という気がしています。それこそリツコさんあたりは名前とか面識があっても不思議はないかも。対面じゃなくて、情報交換で通信機越し、あるいはメールのやりとりくらいかもしれませんが。多分、仕事ができてかつ熱心で、自分の全てを賭けるタイプだったんじゃないかなぁ。新人さんというよりベテランの方で、面倒見が良くて自分の仕事をしながらも周りも見えるタイプ……などと、想像が膨らみます。
あの書き付けは本当に数秒のシーンでしたが、スピンオフの余地が大いにありますね。映像化は厳しいかもしれませんが(まずは本編の完成です!)漫画になったら読みたいなあ。
エヴァの謎がまた増えてしまった10分でしたが(なんで冬月副司令に「試されてる」のか、とか)。こういう、おそらく語られないだろうストーリーも、また楽しからずや。
それにしてもシンジたちはどうしているんでしょうね。本編の10分41秒目からがまたたのしみです。