ミライトワとソメイティのアニメ作品

今大会の公式マスコットの二人。以前からキャラデザからしてアニメ向きだなあと思っていましたら、2019年に五輪パラまであと1年(当時)の予告PR映像としてアニメ化されていたのでメモ。
両作品とも柔らかいタッチが印象的。シメがお客さんでいっぱいの新国立競技場なのが今見ると泣けます……。
熱中症と台風は予想されていましたが、コロナ禍なんてもちろん想定してなかったあのころ。このアニメ公開の数ヶ月後からの一連のできごとを、誰なら予想できたんでしょうね。

昨日のパラリンピック開会式

実にみごとなものでした。
会場を様々な国の人が来訪するパラ・エアポートと見立てたものだったようです。会場スタッフの防止にプロペラが付いていてまるでタケコプターだったのも空を飛ぶイメージのため。国名プラカードのデザインも、空港での表示をイメージし、またユニバーサルデザインを意識して誰にでも見やすい配色ということで黒字に黄色だったとか。

寸劇も、誰にでも翼があるという強いメッセージ性のあるもので、よくまとまっていました。

それにしても式典中に雨が降って来たのが見て取れましたが、選手やパフォーマーの皆様は大丈夫だったのでしょうか。

無事に閉幕することを祈ります。

コロナ禍でのモラル格差について考えたこと

モラルって結局
「相手への想像力」なんで
モラルを鍛えるためには その前に
「自分で考える癖」をつけないと
どうしようもないんすよ

これは、最近読んだ漫画からの引用だ。

「100万の命の上に俺は立っている」の7巻、電子書籍版で112ページ目にある。
最近のコロナ禍では、人を助けるための美談も多いが、自分さえよければ……という自己中心的な事例も目に付く。
なぜこの、人としてのありようの格差が生じてしまっているのか考えていた折、ふとこのセリフを思い出したのだった。
主人公である中学生の少年「四谷」は、数名の仲間とともに異世界に否応なく召喚される。そして、未来人に出会い、ファンタジーRPGもかくやといった世界の中で、クエスト(冒険の目的)を押し付けられる。これを制限期間中にクリアできないと自分たちは死んでしまうという。
冒頭に挙げた7巻で進行中のクエストでは、麻薬の広まりに苦しむある国を救うことになった。そのためには、麻薬供給源である隣国の内乱を収めなくてはならないと判明。隣国には大別して3つの勢力がある。主人公の仲間たちはそれぞれの組織に入りこみ、内部工作を試みる。四谷自身は、自警団という集団へ入り、彼らを鍛えることとなった。四谷は、警察や軍隊と共同戦線を張らせるため、何かあるとすぐ戦おうとする彼らに、学校のような教育を施すことで暴走を防ぐ活動を始める。
喧嘩っ早い彼らのモラルを鍛えるために、四谷の授業では図形パズルの問題を出題。一見、モラルと関係なさそうだったその意図を説明したのが、冒頭に挙げたセリフである。
このセリフをヒントに現実の世の中を考えてみる。今までは言われたとおりのことをやっていけば世の中すらも何とかまわったのかもしれない。しかし、インターネット普及後、グローバル化と高度な情報化が進んだ昨今、多くの情報を自分なりに読み取って様々に活用できる人と、情報を鵜呑みする人の二極化は大いに進んでしまったのかもしれない。それは、資産を得るとか、よりハイグレードな立場で仕事をするといった経済的格差を生じさせただけではない。人としての心の格差を生んでしまったのかもしれない。
五輪開催で政府や東京都は、ほとんどの試合を無観客試合とすることで乗り切ろうとしたが、五輪開催で浮き立った空気感での外出や、人が現場に集まってしまう事例も発生した。札幌でのマラソンに遠隔地からの来訪者も多かった*1ことや、閉会式の新国立競技場周辺に人が詰めかけた*2といった例がある。
ここまで大規模なイベントとなれば、当然、仕切る側には集団心理への対処も責任範囲になるだろう。しかし今回の主催者は、そこまでを想定することがどうやらできなかったらしい(内部的には想定はしていたのかもしれないが、結果から言えば出来ていないのと一緒だったといえる)。
となれば結局、個人が自分で考えて対処するしかないが、そこまで考えている人は少なく、自分だけならいいという考えの人の集団が発生してしまったようだ。
特にデルタ株は人流の増大に敏感であっという間に広まってしまう。そして病状の悪化もあっという間だ。普通の肺炎だったら起こらないような速度で症状が悪化し、現在可能な高度な医療を施しても助けられない事例も増えた。この状況は明らかにルールが変わっているのだが、ついて行けていないことが多いのではないだろうか。
私は、五輪・パラリンピックの本質的な意義への異議はない。しかし、行き過ぎた商業主義と、今回の開催のタイミングにはどうしても疑問を感じざるを得ない。主催が強行される以上、個人としてはその雰囲気に飲まれることなく、いつも通り淡々とコロナ対策を日々おこなうしかないのだろう。
コロナ禍が当たり前の日常となり、たまるストレスの解消や経済活性化のためにも、こうしたイベントが開催されることが増えてきた。しかし忘れてはならないのは、別にコロナへの抜本的な対処方法が大きく広まったわけでも、新型コロナウイルスが弱まったわけでもないことだ。ワクチンは普及が遅く、ウイルスの感染力・毒性も強まっている。
自分の身は自分で守るというのは、わがまま勝手とは全然異なる。高いモラルがなければ、結局は自分どころでなく社会が滅びる。こんなの当たり前の過ぎて議論の遡上にも上がらないことだろうが、だからこそ大切にしなくてはならないと考えている。

*1:厳戒下の祭典で:五輪閉会日、ごった返す国立競技場付近 そして満床の病院 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20210808/k00/00m/040/367000c

*2:競技場前、人の波絶えず 缶ビール飲む若者も―五輪閉会式:時事ドットコム https://www.google.co.jp/amp/s/www.jiji.com/amp/article%3fk=2021080800423&g=soc

助けられないのは絶対に悔しいだろう

聖マリアンナ医科大学病院等のコロナ病棟のレポートがあがっていた。
今までできていた医療手段が通じにくくなり、看取りのときもご家族とゆっくり過ごさせて上げられないなど、この病院らしい医療ができなくなりつつある模様だ。
これは絶対に悔しいはずだ。
お医者様をはじめとする医療スタッフの皆様も、患者さんのご家族や友人の皆様もきっとそうだ。報道には感情的なことはあまり描写がないけれど、想像するだにあまりある。人の愛を説くカトリックを掲げる病院で、ゆっくり看取らせてあげられないなんて……。自分は信者ではないもののカトリックの大学で学んだから、余計にそう思うのかもしれないが。
自分には医療の専門的なことは分からないけれど、自分の仕事が通じず、自分たちなりに日々積み重ねてやってきたことがどんどんできなくなるなんて、プロとして心底悔しい日々を送られているに違いないだろうと思う。
それに交通事故用のベッドをコロナのために転用するなんて、実質的な医療崩壊ではないかとも思った。それでも焼け石に水のような状況らしい。
医療そのものはできない自分のような一般市民でも、できるだけ罹患しないように努力することで、彼らが少しでも悔しくならないようにできるかも、と思ったのだった。

浸水被害の事後対応についての番組とかあったらいいのに

最近のような暴力的な長雨で浸水被害を受けられた方の事後対策例。浸水している間に写真を撮るとか、大工さんや業者さんに何をしてもらうとか、見積もりの活用など色んな角度から書いておられる。
惜しむらくは匿名ダイアリーなので、著者不明で信憑性などに説得力がないことである。しかし観点としてはそんなに間違いではなさそうだし、たたき台のひとつとして参考にするのには良いかなと。
で、こういう長雨のあとの対処方法について、こういう個人的見解ではなく、専門家の監修の上で長めの尺を取って報道すれば良いのに、と。
NHKあたりのゴールデンタイムでやっている生活系の番組とか。
自治体によって細部は異なるとはいえ、大枠の流れを知っておくだけでもオロオロしないと思うし。
まずはなんにしても罹災証明書のために水が入ってる状態の写真を撮るとか(これ、気がつくかどうかであとが違うというのは目から鱗)濡れた家財道具の対処方法、濡れたエリアの防カビなどについてはどの地域にいても似ていると思う。
ちなみに、災害で仮に家のプリンターが壊れたとしても、スマホで撮った写真はコンビニのマルチコピーや写真屋さんで印刷できる。データさえあればスマホ本体に接続するケーブルとかパソコン本体がなくても紙に印刷できる。スマホ本体が壊れたとしても、iCloudまたはGoogle Driveとかのクラウド保存を有効にしておけば機種変でなんとかなる場合も(要パスワードと、場合によっては二段階認証)。iPhoneでもiPadでもAndroidでも同じ。なので、ともかく被災したら自宅の様子をパシャパシャ撮っておくのは、今後の自分のためになるのは覚えておくといいかと。スマホから直接プリントできるの、意外に知らない人がおおいので。
そういったことも含めて、被災したら具体的に何したら良いのかの番組とかやったら、結構助かる人が多いのではないだろうか。
それにしても、今回の大雨!
本当にエリアが広くてビックリしてしまった。気象庁の土砂災害警戒情報のマップを見てみるとそれがよくわかる。

これを書いている2021/8/16午前11時30分頃のスクショ。黄色が注意報、赤が警報、紫が土砂災害警戒情報、黒が特別警報とのこと。
全国=f:id:Yuny:20210816113343p:plain
東日本=f:id:Yuny:20210816113736p:plain
西日本=f:id:Yuny:20210816113746p:plain
ちょっと心配なのが、最近、弱めとはいえ地震も多いことだったりする。
以下は過去30日間の震央分布。

ここでは震度ではなくマグニチュードでグラフにしている。同じく現時点でのスクショ。
f:id:Yuny:20210816114457p:plain
丸の大きさと色については、丸が大きいほどマグニチュードが大きく、色が赤い方が震源が浅めで青くなると深い模様。つまり、赤くて大きな丸の地震は大きな震度になりやすい。
f:id:Yuny:20210816114608p:plain
土砂崩れを誘発しないか心配になる。
地元や大切な人が住んでいるエリアが今どうなっているか、また避難するための情報などを、冷静にしっかり確認しておくことは大事ではないかと思う。人間には正常性バイアスがあることを意識しておくだけでも違うだろう。

世論調査って大丈夫?

前から思っていたことの一つ。
ときどき、マスコミ各社でやる世論調査のことで。
たかだか数千人の意見を集約して日本の世論だっていわれても、一億二千万いるとも言われる日本人全体を測ったことになるのか?
統計論は分かった上で、やっぱりその疑念はある。
それから、その電話とかを掛けたところで、応答してくれるのは基本的には時間があって言いたいことがある人。でもって今どき家電話を引いている人。となれば、若い人の意見は反映されづらいかと。
世論調査に応答してくれる、という時点で、すでに調査対象にバイアスが掛かっている。
それでもって、回答の選択肢もちょっと変だったりもする。例えば他の人が内閣やるよりいいのでは、みたいなのが必ず内閣支持の理由に入っているけど、あの理由ってよく考えなくても変。他の人のことなんか全然関係ない。今の内閣のことをきいているのに。あの選択肢は支持率確保のためにおかれているだけのように思う。この選択肢のない世論調査を一度はやってみてほしい。本当に内閣をちゃんと支持している人は、どれ位いるのか明らかになるだろう。
それに、世論調査が信頼出来るのかどうかの世論調査って、何故やらないんだろう?
もしやったら信頼できないが大半になるかもしれない。だとすると、そんなものを信頼出来る情報として公表し続けるのもいかがなものだろうか?
私自身は、世論調査を全く信じていない。前述のバイアスと恣意的な質問構成が理由である。

はたからみると普通だけど実は、の怖さ

あのベラルーシから亡命希望だった女性の陸上選手(クリスチナ・チマノウスカヤ選手)ちゃんと無事だそう。良かった良かった。
本件、めちゃくちゃ怖いと思ったのはこの下り。

私が国際線ロビーに到着したのは7時50分ごろ。チマノウスカヤ選手は複数の警察官や空港にいた五輪のボランティアスタッフとともにいました。

しかし警察官は「彼女が保護を求めているようだが、本当に必要なのかわからない」と話していました。

聞くとチマノウスカヤ選手がチェックインカウンターに並んでいた時に、警戒に当たっていた警察官に声をかけ、助けてほしいと頼んできたそうです。

他の選手たちと様子が違っているわけでもなく、警察官は「どんな危険にさらされているのかわからない」とのことでした。

彼女の言葉を信じるならば、一緒にいた人たちはコーチなどではなく、言葉は悪いですが誘拐犯のようなものだってことになりますね。
でもそれ、他の人が見破るのは大変。ましてや、英語などが分かる警官さんがいたとしても、ベラルーシの国内事情など分かりようもない。なので、簡単に信じることが出来ない。人助けはもちろんするべきですが。
今回はたまたまベラルーシ情勢を取材していたNHKの記者さんが助けてあげられたものの、もし、彼が間に合わなかったら、場合によってはもしかしたら無理やり連れていかれたかもしれません。可能性としては大いにあります。
これで思い出したのが、車いすに乗っていたある人が、街行く人に助けを求めていわく、今車いすを押している人は全然知らない人だから助けてくれって事件。

ぱっと見破るのは難しい。
端から見たら保護者にしか見えなかったそうですし。
本当に悪いヒトは悪人の顔をしていませんね。
それで、チマノウスカヤ選手の話ですが、今度はパリ五輪を目指すらしいです。
ただ、先ほどの記事にあった、ベラルーシ情勢が気になりますね。無事に出場できるってだけで本当にすごいんだろうなぁ。参加のために充分なほどに体を鍛え上げるだけでもすごいのに。
それにしても、政府ににらまれるとかの変なことを気にせずに競技ができるのは、本当ならどの選手も持っている当たり前の権利のはずなんですけどねぇ。うーむ。
権利を守るのには時には努力が必要。世情の違う国の方がそっと教えて行ってくれた置き土産のようなものを感じています。
世界の国の人が色んなことをやりくって集まる。コロナ禍で無理矢理開催されたことには今もって是非は問われるべきであるとは思いますが、五輪自体は色んな国の事情などを学べる機会でもあるってよく分かりました。