デジタルデバイド、という研究テーマ。

このところ、これから先の進路や仕事として追及すべきテーマを考えることが多くなりました。
いろいろ考えていて、この日の朝、ふ、と、気がついたテーマがデジタルデバイドの解消ということです。
考えてみれば、コンピュータと……いや、6歳でパソコンと出会ってから、パソコンに関しては無意識的にこのことを考えていた気がします。


あの頃はBASICがOSも兼ねた環境で、まあ、小学一年のころは画面いっぱいにアスタリスク*を出して遊んでいただけでしたが、それは模様を描く鉛筆としてのコンピュータの使い方でした。今だと、id:KATIEさん*1が日記で気の向くままに行っておられるような、あんな感じですね。自分とコンピュータとの間には、本当はそのコンピュータ(日立のマークツーとかいうやつでした)でできることは、プログラミングをして、複雑な計算や画面描画などだったんですが、自分ができることと、コンピュータができることの間に格差があった。これも広い意味のデジタルデバイドといえるのではないか、と思っています。


私が大学でパソコンサポーターしていて、思うデジタルデバイドはいくつかあります。ここでは、コンピュータを使う、ということについてのさまざまな格差、という広い解釈で考えています。(本当は世代や地域によるコンピュータ利用や情報技術の利用に関する格差を指す用語です)

  1. 高等学校などで授業を受けてきた、自宅にマックやPCがあったなど、経験による格差。素質による格差。つまり、個人個人の習得や理解についてのスピードの格差。Aさんは1時間でこの単元を理解し終了したが、Bさんは3時間かかってやっと分かった、というようなもの。
  2. 個人の理解と、コンピューターやソフトウェアの本当の性能についての格差。Photoshopではどんなことができるか、概要を知っている段階と、機能の適性や限界(例:PhotoshopではIllustratorと同じことはできないし、文書作成には不向き)まで知り抜いた段階では、ユーザとコンピュータの間の理解的・心理的距離に、格差が生じている。
  3. コンピュータで人的交流ができる人と、できない人の間の格差。人的交流ができる人の間でも、利用率や利用方法によってさまざまな格差が生じる。

広く考えると、この3点に集約されると思います。まだあるかもしれませんが、仕事しながら一日考えただけではこれくらいです。


私が大学で行っている教育支援活動は、まさにこの、さまざまな意味でのデジタルデバイドの解消についての仕事でした。そしてこれは私にとって、生涯の仕事のテーマになるなあ、と今朝方ふと気がついた訳です。先日(id:Yuny:20041218)のJAPETセミナーでも、結局のところついて回るのはこの問題で、学校にパソコンがきちんとした形で入っている学校とそうでないところとか。行政や教育機関でのトップ*2の立場の方の理解や協力やリーダーシップによっても同じ予算でも格差ができると思います。また、先生方がコンピューターを難しくて使い方から覚えないといけない道具だ、と思い込んでいるか、それほど難しくなくて、簡単に教育に生かせるアイデアがあるととらえているかで、同じような時間とお金をかけても全然違うものになると思いますね。


デジタルデバイドの解消という、自分なりに見つけたテーマを、これからどう学んだり、仕事として実践したりしていくかは未定の未知数ですが、方向性だけは決まったのだから、この冬休みにじっくり考えたいと思っています。ちょっとしたことから、なにかアイデアが生まれそうです。

*1:2歳のはてなダイアラーさんです。写真が実にいいです。子供の視線を、私たちに教えてくれます。

*2:地域の教育委員会の方針や、学校の校長先生というあたりを想定しています。