「男たちの大和」を鑑賞。

ひょんなことから鑑賞券をもらったので、「男たちの大和」を観に行きました。
ただし、Macファンとしてはこのページも要チェック!!

「大和」の撮影はHDカメラのフルデジタル。その上で、Pawer Mac G5やPowerBook G4にShakeやFinal Cut Proを積んで行ったそうです。上記ページにありますが、ブルースクリーンを張っての合成映像だとか、Shakeによる特撮合成とか、まあ、確かにPowerBookで出来ると思いますが……。この作業を可能にした基幹技術……QuickTimeってやっぱりすごいかも。う〜む。扱えるメディア形式の懐が大きくて広くて凄いとは、前から思っていたんですけどね。
……実のところ、画質・音質はどうなのかも興味を持ちつつ、映画館へ。


映画は現代から始まりました。戦艦大和の資料館である大和ミュージアムを見学する一人の女性。
彼女は、ある理由で、2005年4月7日に『北緯30度43分、東経128度04分』の場所へ、どうしても行かなくてはなりませんでした。東シナ海の遥か沖、戦艦大和が60年前に最後の戦いを演じた海へ。懇願により小さな漁船『明日香丸』が、鹿児島県・枕崎の港を出て行きます。彼女の願いをかの海に届けるために。そして、漁船の舵を取る老漁師の神尾は、かつて大和に乗り組んだ特別年少兵のひとりでした。彼は明日香丸の船上で、共に沖へ向かう15歳の船員・敦と依頼して来た女性(実はかつての上官・内田の養女)に、大和のこと、戦友たちのことを話し始めるのでした……。


戦艦大和。今ではプラモデル等でも知られていますが、世界史上最大の戦艦でした。
ただし、これが建造された頃にはすでに、時代は海戦から戦闘機を中心とした空戦へ移り変わっていて。その辺りの事情ははてなダイアリーキーワード大和』にもありますけれども。
大和は基本的には海戦に強く、空戦向きではない(後に装備の増強などもありましたが)装備でした。また、人力による照準・発射の仕組みは映画の中で良く描写されています。今では考えられない装備ではありますが……。装置が生きていても、撃つ人間がいなければ動かせないことは対空戦では致命的な弱点だったのではないかと推察します。(外に人間が出ないと撃てない、という意味で)弾を運ぶ人間がいなければ撃てなかったことも。そのためにも、この「船」には3000余名の人員が必要でした。初めから空戦を意識した設計になっていたら、どうなっていたか。まあ、歴史に「もしも」は禁句ですけれども。
大和の敗退はすなわち日本海軍の最終的敗退でもありました。今なら、歴史のデータが太平洋戦争の無茶さを物語っていますが、国民に情報の無かった当時はそれらがどれだけ無茶なことか、失われる物がどれほどのものかを国民が分かることなどあり得なかった。大和の乗組員たちが覚悟を決めても、その重さは歴史を覆すことは無かった。日本のトップも、その辺りをきちんと理解していたか、かなり疑問を感じざるを得ません。なぜあんな戦争をしたのか。
そして、日本が戦争に負けを認める為には、沖縄戦、本土の空襲、二発の原爆という悲惨な戦禍を経験しなければなりませんでした。


以前、赤紙召集令状)の配布の仕組みを調べたことがあります。なぜ、そうやって人が兵として選ばれ、召集され、その地に向かわされるのかは、国民に全く説明がなかったのです。召集の為の個人の基本情報を集めている役場の係の人も、システムの全貌を知ることは無かった。ただ、国民の義務として、行けと言われたら戦争に行かなければならなかった。


映画を見終わった今、情報というものの重みを、インターネットやコンピュータに携わる者の一人として痛感しています。知らない、ということが時には国を巻き込む致命傷になるのだということを。


半世紀と少し前、この新宿の地も焼け野原でした。ネオン街を眺めながら、海の幸を食しながら(夕食は回転寿司だったので)陸と空と海に流れた血の重さを考えてもみたのでした。


戦争行為には正義は無いと、やはり強く思います。
日本を守るために散った……そういわれているその命のもったいなさが胸に響きました。何の為にただの漁民が空爆され、ただの女学生が被爆したのか……大和の艦上だけではない多くの死が語られていましたが、そんな死に方をさせた歴史、そして、その流れを作ってしまった人間に怒りを感じます。
戦争をすることが日本を守ることだなんて、絶対にウソ。情報操作と教育により誤った神話を創り上げることができることの恐ろしさ。
大和の建造背景には、日本の海軍神話があり、ある意味での精神主義もありました。
これだけ大きくて強い艦が、負けるわけが無いというコトがいわれていました。
でも、歴史を客観的に見ると、負けるべくして負けたことがよく分かります。情報管理の面でも既に負けていた(暗号が解読されていた)し。コストを支えきる国力の面(大和の最終出撃を援護する戦闘機は全く無かった)でも、資源(燃料が片道しかなかったとも言われている……が疑問もあるらしい……が、余裕があったとも思えない)や人員(そもそも、15歳で大和に乗っているという時点で不足が分かる)の面でも。


最近、憲法9条にメスが入りつつあることが非常に恐ろしいです。
神話に踊らされた大和の悲劇が繰り返されることはあってはならないと思いました。
戦争状態になってから、過ちに気が付いたのでは遅いのですから。


それにしても、映画の最中は、Final Cut ProやMacのことなどすっかり忘れていました。考えるヒマもなかった。それくらい、違和感が全くなかったということです。あの映像がすべて「データとして存在している」ことが信じられない気持ちです。
あのものすごい迫力で映像酔いすらした戦闘シーン、そして大和の沈没シーンが。すべてビットの世界に存在しているとは……。同じOSで作れたとは。
帰りに新宿のパソコンショップPowerMac G5を見てきましたが、良いカメラと技術とイマジネ−ション、そしてあれが何台かあれば、物理的には映画が作れる時代になっているとは。やはり信じられないような気持ちでした。