心の体力で夏を乗り切れ

別にスポ根精神の支持者ではないが、ある目標をクリアするために全力を出す事の大切さが、最近、身にしみて分かって来た。
それも、「努力」「根性」みたいな感じではなく、もっと軽やかにクリアして行く感じに憧れる。肩の力を抜きつつ、やるべき事はやっている感じである。視野の広い者に特徴的な、ひょうひょうとしつつも何かやりそうな感じ。アレである。
とはいえ、泥臭さをも厭わない者で無くては、人生の成功も無いだろうが……。ひょうひょうとした者が人知れず泥臭く積み重ねている事は多いだろう。


人間性をも試されるような猛烈な湿気と暑さ。今の時期だからこそ、自分の体力だけではなく、心の大きさも量りうる気がしている。
体を絞るにはもってこいの環境だ。室内で過ごしていても、体を動かせば数時間でTシャツがびしょぬれになる。
ただし、水分とカテキンはしっかり取っておかなければ、体力切れする。休む時にはスッパリ30分休まないと、あとで息切れしてモノも持てなくなる。この辺りのコントロールは、やはり心の体力が無ければ出来ないだろう。


自分が学生時代までに一番努力した事は吹奏楽管弦楽。次点で高校受験勉強だった(とはいえ、高校も吹奏楽をやりたくて結構無茶な受験をしたので、吹奏楽に含めてしまっていい)。


そしてあの頃、もっとも好きな季節は夏だった。
中学時代はコンクール。高校時代は夏合宿。大学の時も夏の練習は好きだったし、学芸員課程の研修で夏の2週間を浜松で過ごした事は、やはり「合宿」みたいなモノだと思える。
学生時代は、夏休みがもっとも「自分を試し、伸ばせる」時期だった。
それは30代が近くなった今も、真実として変わらないのではないか。
この季節まで休養&求職中なのは、単なる偶然では無い気がして来たのだ。


夏をきちんと乗り切れた者は、秋を制する。
中学吹奏楽コンクールの後の秋の展覧会での演奏や、高校の合宿で準備した曲を秋の行事週間で披露したときの事を思い出すと、夏の努力は、夏を過ごすためだけではなく、秋の成功のためにあると思える。
夏の学芸員研修がそのまま卒業制作に生きた事なども、「夏は秋のためにある」ことの状況証拠だと思う。


『よい人生は、よい準備から始まる』との言の通りだ。


この日々を自分自身の環境整備と、自分の周辺の方々へのITサポートで過ごしている。
今は、我慢。準備。やるべき事は多い。その割に、目標の及第点の半分しか達成していなくて、落ち込む事も多いのだが……。
しかし、たとえ、蟻のようなペースでしか歩めなくても、目標の最低ランクは必ずクリアしていく事を続ける事で、いつかは成功に結びつくはずだ。