GarageBandで吹奏楽曲を作曲する7

作曲の動機に引っかかるできごとがありましたが……。



自分の音楽だけはあきらめたくありません。



たとえ、この曲を作ること自体が、人の迷惑にしかならないとしても。



誰にも演奏してもらえないとしても。
作る以上は、自分にできる最大限の、演奏しやすさを目指しますが。
演奏してもらえるかどうかなんて、分からないけれど。


自分の音楽は、そのきっかけを与えてくれた人がどうあれ、自分のものだと思います。
人生と同じように。
自分で自分を拒絶したら、そこでおしまいです。だから……。
自分の耳に聞こえている音も、和声やオーケストレーションなどの理論も、自分で分かったことは、自分の武器として使います。
そのために、先人たちが残してくれた偉大なる音楽的遺産があるのですから。


作品を残すことは、自分が生きた証だけではなく。
次の誰かのためだと信じます。そこは譲れません、自己満足で作っているんじゃない。


自分にとってのITサポートも同じ。
できていないことを指摘するこの仕事で、指摘した相手から拒絶されれば、サポーターとして生きている価値はそこでなくなります。
大学の仕事とは関係のない場所でも、私はサポーターでありたいと思っているので。サポーターであることは生き方そのものだから。
自分の力は、困っている誰かのためにある。そう信じてる。
そのヒトが直接困っていなくても、はたからみて間違っていると思えば、正直に言いたい。嘘をつきたくはない。
赤信号をわたっている人を見て、そのヒトが気が付いていない車がきていたら、だれでも注意すると思う。ほうっておいたら、死んでしまう。生命の最大の目的を果たせなくなってしまう。
同じです。ある表現物があって、それが伝わりにくい表現の仕方をしていたら、技術的なことはある程度分かるから、分かる範囲での伝え方を教えたいと思う。表現は、誰かに何かを伝えるための物だと思うから、表現の最大の目的を果たせないのなら、注意をするというのは自分にとって自然なことです。


Bbの442でチューニングしているウインドバンドで、ひとりだけ440だったら、やっぱり、言うべきだと思う。
同じようなことだと思う。
最大限、伝わるような言い方をするのは当たり前だし。その上で伝えるべきものは伝えたいよ。


これが謙虚じゃないんだとしたら、自分には生きている価値もないと思うしかない。
生き方の否定そのものだから。


曲を書くのをやめようかとかさんざん考えたけれど……。ここでやめたら、人生最大の後悔をすると確信したから、書きます。
一番受け取ってほしい人に、受け取ってもらえないとしても。
死ぬか書くか、それしかない。