社会人レベル1への昇格

↑自分も該当するのでちょっと興味深く読んでいた。まあ、元のデータが28人しか分析対象としていないことは注意しておく必要があると思うけれども。
私の場合、大卒の段階で、自分が就職するということがピンと来ていなかったという……なんというか、ぽけっとしていたら気が付いたら卒業していて、で、大学の恩師の紹介で以前の職場に拾っていただいたようなクチなので、あんまり偉そうなことを言えそうにない。
でも、新卒という『ゴールドカード』をあっさり捨てて、社会をぼんやり眺めていた目からすると、なぜ企業が「新卒」にこだわるのか全然分からなかった。
新卒の時点で就職できなかったからこそ、個性が強い人々もいて、そういった人は「社会に適応できない」みたいな目で見られたりして、引きこもりとインターネットに流れていってしまった。なんというか、気の毒すぎる。


たまたま、大卒で流れ着いた当時の職場がIT系の大学(正確には短期大学)だった。毎年卒業生が出てきて、がんばっていろいろなところに就職していた。みんな、すごくがんばっていた。私自身の大学生時代は、そういう意味ではがんばる覚悟が無かったから、本当にすごいなあって思っていた。
だから、できることをお手伝いして、授業で取り上げる機会が無いMacintoshのことや、デジタルメディア系の道具としてのパソコンの使い方を、いろいろなコースの学生さんにマンツーマンで教えていたりした。助手のようなポジションだから、かえって自由に何でもできた。先生にご相談しながら、学生の個性に合わせて相談に乗らせてもらっていた。みんな、本当に、優秀だったな。


でも、なぜか私の目で見て優秀な人ほど、企業が正社員で雇ってくれなかったような気がする。すごく変な話なんだけど。


がんばっていても、そのがんばり方が、社会に適応できるような方向になっていないと、ちゃんと就職できない。
就職できないということは、ハタチそこそこにして、社会的弱者のレッテルを貼られてしまうことに等しかった。


人材派遣業界はその辺りに着目して、「第2新卒」という人材カテゴリを作った。大卒当時、希望通りの就職ができなかったけれども、改めて正社員とかにチャレンジしたい人々に、「新卒」に代わる『シルバーカード』を与えてくれたのだ。
自分の周りには、このカードで就職できた人はあんまりいなかったけれど(というか、第2新卒枠を使っていた友人がいなかった)、日本全体で見ればそれなりにいたんじゃないかと思う。


さて、自分は5年間の短大勤めを終えて、1年間休息した。なんと言うか、先が全然見えなくて、疲れていた。パソコンの基礎を教えることが大好きで、どんな初心者相手でもマニュアルなしでインターネットで情報検索、ワープロ使用、ラフスケッチ、DTP基礎ができるくらいまでは導ける自信はついていた。でも、それを武器として就職活動に使う方法が分からなかった。


大学卒業時に、ちゃんと就職活動をやっていなかったから、就職活動アレルギーのようなものに陥っていた。


社会が怖い場所に見えていた。モンスターの巣窟のようだった。リクルートスーツを着こなし、しつこくない程度のお化粧をして、マナーを守って、バリバリ仕事をする……そんな異質の存在に変身しないと、この社会では生きていけないらしい。いくらMacWindowsの両面に通じていても、「社会人」に変身できなければ、得意スキルを生かして生きていけないらしい。そういうことがうすうす分かっていたからこそ、怖かった。周りの友人たち、大学の友人は、みんなそれなりに適応していっていた。みんなもモンスターだった。
引きこもり時代は睡眠障害も起こした。プレッシャーで眠れない。いつも家にいるなら、好きな時間に眠れるだろうと思うかもしれない。違うんだ。社会にいないプレッシャーで自分を殺してしまい、眠ることができなくなるのだ。


そこを打破させてくれたのは、神経科にかかったことと、昔の友達に再会したことだ。
あんまり眠れなくて、神経科にかかって、睡眠薬抗うつ剤をもらった。そのお医者さんにかかっていくうち、スーツとお化粧は身だしなみであり、怖がらなくていいんだってことを教わった。それで、スーツや化粧への恐怖心をようやく払拭し、ちょっとしたことならなんとかできるようになった。


昔の友達は、自分の話を根気よく聞いてくれた。
そして、彼女は、好きなことを仕事にしていた。だから、自分も、吹奏楽という好きなことを再開した。自由演奏会にしばらく通ってみて、4ヶ月で40曲くらいを初見で吹かされた。きつかったけど、青空の下で倒れそうになるまで演奏して、自分を取り戻せた気がした。


それから、社会復帰への心が少しずつ固まっていった。ハローワークに期限ギリギリで申請し、失業保険をもらい始めた。そのハローワークでは、失業保険の受給者であることを条件に、毎週1回、50分の面談方式で就職活動をマンツーマンで支援してくれていた。
ゆっくりとお話しして、キャリアの棚卸しをすることによって、自分のスキルが実は客観的に見て相当高いことを知った。そして、労働者としての心構えと面接マナー、応募書類(履歴書・職務経歴書)の書き方など、大卒者が一度はみんな経験することを、初めてここで経験できた。
そう、社会人レベル0からレベル1に昇格することができた、という言い方が合うかもしれないな。


結局は前職同様の学生さんへのITサポートというところにたどりついたのだけれど、この1年間は、宝物だ。社会があんまりは怖くなくなったのだ。
そして、前職と違うところは、頼りになる同僚さんたちがいることだった。前の短大では、サポートをひとりで請け負っていたから……。これは本当に大きいことだった。


社会の方に社会人として76世代・77世代を受け止められる土壌が無かった当時、まず採用自体が少なかったりして(就職氷河期)。
その人たちが今どうしているかと言えば、正社員になれたりなれなかったりしている。友人にはアルバイトを続けている人が多い。みんな、すごい才能を持っているのに……もったいないと思う。
でも、挫折を知っている分、心優しく、個性的な人々が多いことも確かなので、見る目のある人材採用者に、そういう人々が採用されてほしいなあと強く願っている。
要は、社会ではどうすればいいかを教えてあげる道筋を、どの世代にもきちんと作って用意しておいてほしいのだ。私がハローワークでのマンツーマン指導で助かったように。そして、そういうことを、もっと広報するべきだと思うのだ。社会は怖くないということを。


自分も今はまだ正社員のような形ではない。でも、それなりに誇りを持って働かせていただいている。今は、フルタイムで週6日働いている。引きこもり時代にくらべ、生活は大きく変わった。人間として、サポーターとしてのプライドを取り戻し、悩める学生さんたちのITサポートに従事している。


レアケースなトラブルこそ大歓迎だ。遠慮しないで持っておいで、一緒に解決しようじゃないか。パソコンは、君たち学生の、生涯にわたる友人であり、すばらしい道具なのだから。


今、引きこもっている人々に、どうか暖かい支援の手を……。
誰かがいなければ、社会人として再出発できない。だれも助けてくれない状態だったのを、自力で立ち直る覚悟をまず決めることで、助けてくれる場所にたどり着けた。最初の1歩は、だれも助けてくれないけど、歩き出す覚悟を決められたら、そのあとの支援は充実させてほしい。借金だらけの日本。どんどん労働してくれる人を増やさなくちゃいけない。


ちなみに。ハローワークにはそこそこの仕事が集まっているし、利用するのには特に資格は要らなかったと思う。日本国民であれば。税金で運営しているから、利用するのにもお金は要らない。せいぜい、ハローワークにたどり着くまでの交通費、あと履歴書を書くための用紙や写真の料金とか……くらいでいいのだ。交通費も、毎週や毎日通うつもりなら、電車の回数券や定期券を買えばパスモやスイカより安くあがるし。私自身、ハローワークにいつでもいける環境を作るため、回数券はいつも財布に入っているようにしていた。


それから、ハローワーク経由で紹介された人材の採用が決まると、企業に国からお金がもらえるらしい。だから、同じ位のスキルの持ち主であれば、ハローワークで紹介してもらった人の方が採用されやすい。


それから、年度初めである4月から働いてもらう人の求人が集中するのは、2月から3月だ。つまり、今・来月はものすごくチャンスなのだ。これをもしも引きこもりの人が読んでいたら、今すぐハローワークで、キャリアの棚卸し方法を相談しにいってみてほしい。誰にでも可能性はあるのだから、自分に何ができるのか、それを見つけ出す方法を、教えてもらえばいいのだ。恥ずかしいことなんてなにもない。人それぞれ、事情はあって当たり前だ。


まずは働き始めることが大事なんじゃないかと思う。それなら、応募する前の各種相談に全面的に無料で乗ってもらえる、ハローワーク経由でスタートするのは、けっこうアリなんじゃないかな?
もちろん、求人サイトや雑誌経由でもいいしね。
社会に出るのは、やってしまえば、本当に怖くない。でも、失敗した人々には、レッテルなんか張らないで、暖かく助けてあげてほしいな。心からそう願っています。