Googleストリートビューが奪ったものと与えたもの

Google法務責任者が語る、「ストリートビュー」のプライバシー問題 - ITmedia NEWSに愕然とした。あまりにも問題意識の温度差がただの(Googleファンでも何でもない)ネットユーザ(つまり私だが)や、ネットを使えない人々と違いすぎる。
以下、上記記事の一部を引用しつつ、疑問に思ったことを列挙していく。

Googleは公道をパブリックな空間ととらえ、ストリートビューの写真は「公道から撮影したため問題ないはず」としている

公道では、本当にどこでも勝手に撮影して構わないのだろうか? 国によって法律は異なると思うが、仮に米国でそういうルールであったとしても、日本ではどうなのか?

プライバシー対策としてGoogleは、画像認識技術を使って人の顔と車のナンバーに自動でぼかしを入れている。「Googleは社会的な問題を、技術で解決しようとしている」とウォーカー氏は強調しつつ「技術は完璧ではなく、例えば馬の顔をぼかしてしまうこともある」と認める。

問題は、馬に象徴されるような、「人間から見ると明らかに人間ではないものもぼかしてしまうこと」にあるのではない。間違いなく人間が写っていながら、ぼかされていない数々の写真が存在していることにある。馬を馬として認識して自動修正しない技術の開発は、その後にするべきだ。パブリシティ権の侵害に配慮していないのではないか? 現に、ぼかされてはいるが、見る人が見れば「あの人だ」と分かる写真も存在する(私の知り合いが某所に撮影されていた)。

不適切な写真が公開されている場合は、ユーザーが同社に通知すれば削除する仕組みも備えた。「技術のコントロールは、ユーザーにゆだねている」

通知方法に改善を。個人的にはメールフォームのほか、フリーダイヤル、FAX番号、手紙での手段も用意するべきだと考えている。日本ではまだまだFAXは現役の通信手段で、メールより確実だ。Googleの用意したフォームの設計は非常に稚拙で使いにくい。88文字しか入力できないフォームで適切に通報できるだろうか?
また、技術のコントロールが可能なほど、大多数のユーザはGoogleに協力的ではないことに配慮して欲しい。というより、現時点でGoogleストリートビューは、一般市民が気軽に参加できるようなシステム、また、市民の大多数が興味があるシステムではまったくない。興味が無ければ存在しないと同じだ。自分の感覚では、100人の一般市民(非ネットユーザを含める)のうち、2〜3人が知っていれば良い方なのではないか? 著作権同様、親告罪(のようなもの)とする考えなのかもしれないが、気が付かずに世界中に自分の身なりが放送(ネットを知らない人にはそのように思われる)されているとしたら、知ってしまえば、気分を害する人も多いと思われる。たまたまネットを知らない、使っていない、使っていてもYahoo!で軽く検索するだけ、メールチェックのみ、ケータイのみという人がまだまだ多いし、これだけ廉価になった現時点でそのような人は、おそらく将来的にもネットを導入しようと思わない人も大半ではないか……。人数の多寡に限らず、1人でもいれば配慮するべきでは?

既存の法規制に合わない新しいサービスにはいろいろなクレームが付くもの。

ルールを変えようとしている努力は分からないではないが。既存の法律の元で護られている市民の権利をわざわざ侵害してまでやらなくてはいけないのだろうか?

興味深い意見だが、われわれはオプトアウト(撮影・公開した後、問題があれば通知してもらい、削除する)の方がより重要で効率的な方法だと思っている。車に「撮影中」と書いてあっても、外出中に自宅が撮影されてしまったら意味がない。

予告があれば、自分が写真に写るのは避けられるかもしれないし、事前に町内会的な予告アナウンスがあれば、庭先を掃き掃除してきれいに見せることだって出来る。映画などでは、公道でも「撮影中」と必ず周囲に断りがあり、撮影されたくない人は迂回できるような配慮がある。
たとえば、撮影されたくない人が、家の庭先に「Google撮影車お断り」の看板を出したとして、撮影しないでくれるだろうか? 見落としたり、見落としたことにして撮影されたりしないだろうか? 撮影されたくない人は、事後削除ではなく、一度も撮影されない権利があるはずだ。撮影されないための方策を提供する気は無いのであれば、いささか乱暴といえなくも無い。

ユーザーにコントロールを渡すのがベストだろう。

そのユーザがGoogleを使わない選択をし、非協力的なまま、Googleは犯している罪の大きさに気づかせてもらえないまま、サービスが続行される可能性がある。サイレントマジョリティに配慮しないまま進めるのであれば、Googleはいずれ日本のユーザから信用されなくなっていく可能性があると思う。

地図上で公道と私道の区別が分からないところもある。

地図に公私の区別が掲載されていなくても、撮影予定区域を所轄の警察に問い合わせれば、私道の撮影は事前に予防できると思う。やってしまったかもしれないから後で教えて、というのが前提でやっているのだとしたら、方法論が乱暴かつ幼稚に思える。そして、ユーザからきちんと教えてもらえるケースは少ないだろう。

より多くのサービスを展開しようと思えば、システムの多くは自動化し、オンラインサービスという形を取らざるを得ない。

一つ一つのサービスをきちんと完成させる気が無いまま次々リリースするのが正しいと考えているのならば、社会に対する企業責任を果たしているとはいえない。Googleはユーザが使わなかったらビジネスが終わるようなビジネスモデルに立脚している。そのことを忘れないで欲しい。

カナダの国土が広大で撮影に手間取っている

どうしてもやりたいのであれば、たとえばオタワやトロント中心部半径10キロのみなど、主要部分の中心地域だけで構わないからサービスをスタートさせて、カナダの市民の意見を徹底的に聞いてユーザとの情報交換システムを完全に構築し、それから全土を撮影しに行けばいい。広さは理由にならない。こんなサービスは必要ない、とカナダの市民の大多数に言われるのであれば、中止すればいい。中止を考えていないのであれば、技術があるなら必ずやらなくてはならないと思い込んでいる視野の狭さが危惧される。
ある意味、戦争と同じようなことをしようとしているのではないか? 兵器を作る技術があるから作る、作っちゃったから使いたくて戦争する。同じような姿勢を感じてしまう。
技術の発展が他人の権利を侵害し、また、精神的・財産的被害をもたらしているのであれば、中止するべきなのではないだろうか。

米国で1件、私道と知らずに通って家を撮影してしまい、削除したケースで、家を撮影されて精神的苦痛を受けたとして、賠償を求める訴訟が起きている。だが写っていた家は今売りに出されており、写真をネットで閲覧できる。一体何が問題だったのだろうか。

その家がネットに一度でも掲載されてしまったことで、住み続けるのがイヤになってしまったのかもしれない。撮影に「異議!」を唱えたことと、引っ越したことは、まったく別の事情だと考えるべきだ。軽々しく他人の事情に口を挟むべきではない*1。この違いが分からないのであれば、リーダーの当事者意識の希薄さが問題だと思う。


とりあえず、以上です。
ストリートビュー」への対応に如実に現れたGoogle社の姿勢には、かなり絶望感を感じています。
社是を守っていますか?>Google社役員社員・各位


ちなみに、「Googleストリートビューが与えたもの」は、今のところは利便性よりは迷惑やいつ撮影されるか分からない恐怖心、ユーザが自宅周辺をチェックに行く余計な手間暇など、いいものはありません。あれで便利になったかといえば、私個人は恩恵をまったく感じられません。それでも、自宅周辺は撮影されています。削除申請自体が信用できないので、削除申請をまだしていませんが、いい加減そろそろした方がいいのかもしれませんね。

*1:日本の某元交通大臣じゃないんだし^^;