小さな正義

ふと思ったのですが。
最近は旧ジャニーズ事務所、歌舞伎界、宝塚歌劇団……とか。
組織の中での権力者の横暴(パワハラと言い換えてもいい)を隠蔽し続けてきた牙城が、外圧とか内部告発などにより瓦解する。
そんなことが多かった気がします。
進撃の巨人ではありませんが、自由を求めて壁が崩されたような。
事案によっては、被害者の方が自殺されている場合もあります。
自殺って、社会的な殺人だと言います。物理的にはご本人様が死を選ばれたわけですが、要因的にはその方を取り巻いていた社会に殺されてしまったのだと。
もし、その方が耐え難いような嫌なことが一個もなかったら、自殺する理由がないのです。
人間と人間なので、多少は嫌なことはあるでしょう。でも、理不尽なレベルでの圧力で、息もできないような状況に追いやられたら…。
死を持って外部に訴えることしか手段が見えなくなっても無理はない。
この日本では、不審死があれば警察が調べます。大きな組織であればマスコミも動きます。その結果、ようやく、外の世界に内情が知られて、それがどんなに異常な状況だったのかが検証される。
ある意味、安倍元総理の事件もそういった文脈で捉えられるのかもしれません。やり方は間違っていると今でも思いますが、宗教により人を縛ることの異常さはあの一件がなければこうまで問題視されなかったかもしれず……。
でも、誰かが異常な手段で訴えないと社会が動かない、こんなことが続いて良いのかと。
こんなことが続いたら、外の社会の側も何が正義なのかわからなくなりそうで。
最初に反動で生まれた正義的見地も、それが本当にただしいのか、誰も検証できないことも怖いです。
こんな時代。
何を信じたらいいんでしょうね。
ある状況下では、武力により他国を攻撃することすら肯定されている。
暴力はいけないはずなのに。
できるとすれば。
本人は何も悪くなかったのに、悪いことをせざるを得ない状況、というものが仮にあったとして。
その状況でさえ、自分の善悪感覚を信じて、悪いことをしないでいられる強い気持ち。
それが一個人が持てる小さな正義なのかな…と。