自分の感受性だもの

おんなのことば (童話屋の詩文庫)、12〜14ページ『自分の感受性くらい』より引用。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

今の時代、誰でもモノを創るようになってきました。
それを支援する様々な社会体制も、『生涯学習支援』などといった形で、増えて来ています。*1


しかし、そうとはいえ、周囲の理解を得て、自分なりの表現の道を(アマチュア・プロ関係なく……)歩いて行くのは、いつの時代だって厳しい物です。
『そんな趣味のこと(私の場合、再開したトロンボーンですが)をするくらいなら、もっと生活のことを考えてよ』といわれるのは、ある意味正当なことでもあるでしょう。
そこで逆ギレしたり、自分を責めたりしても、結局、周囲や自分を傷つけるだけだと思います。
それでは、何のために創作に取り組んでいるのか、分からなくなってしまうでしょう。
創作ごとは、誰かを傷つけるためではなく、自分を含めて幸せになるための物だと思いますが、そういう風にはなかなかなり難いのも、また事実……。
本当に、「ゆとり」ってなんなんでしょうね。


冒頭に引いた茨木のり子さんの有名な詩は、彼女の信念そのものなのでしょう。自分が創りたいから、創作を……彼女の場合は詩などの文筆業だったのでしょう……する。この作品の冒頭部分では、

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

と、自分の責任で自分の心を守ることを訴えています。


現代は、誰であれ、それなりに『忙しく』しなければ生きて行けません。
仕事がない人は仕事を探し、仕事がある人はそれに邁進し。
しかし仕事だけで生きていたら、日々、心が『ぱさぱさに』乾くようにも思えます。


生活の豊かさはデスクとベッドの間にある』とは、はてな近藤社長の言ですが。
仕事がなくなってから、改めて自分にとっての「トロンボーンの重み」が身にしみて来たこの半年。そう、5年間の仕事を終えて、ようやく。デスクとベッドの間(実際、部屋の位置関係もそれくらいの場所に楽器があるのですが)に、トロンボーンが復活しました。考えてみれば、仕事をしながらでも十分楽器はやれる環境だったのに、なぜか、手を付けられなかったのです。マウスピース一本ですら、依頼演奏以外の場で、自発的に持つ気にはほとんどなれませんでした。生活の安定ということだけで言えば、今の方がよっぽど不安定なのに、今になって、今になって、そう、今になって。
でも、9月が終わろうとしております。9月が終わろうとしております。2006年の9の月が、終わろうとしているのです。


本当に、いままで、何をやっていたのだろう……。


でも、どんな天才でも、過去は変えられないのです。

否。

この私自身ができる技術の中に、過去の変革は含まれていません。
できることと言えば、過去から思慮深く学び、現在を精一杯に生き、未来を変えること。


もう、誰に何を言われても、音楽を自分の身から手放さないように。
音楽芸術は、自分の感受性そのものなのですから。

*1:実際、次回茨城での『自由演奏会inまなびぴあ2006』も、生涯学習フェスティバルという自治体活動の一環です。