岩泉舞先生の短編集、完全版で復刊!

全っ然、別件で小学館のコミックス検索をしていたら、岩泉舞先生のあの短編集が最近復刊したって引っかかってきました。

たしか、赤石路代先生の近刊リストをふむふむ読んでいたら、関連作品的に拾った……ような。
ところで、岩泉舞先生ってどなたっということで、一応説明。
1989年から1993年ごろの週刊少年ジャンプ、およびジャンプの増刊号で時々読み切りが掲載されていた作家さんです。
この頃といえば、ジャンプ黄金時代! ダイの大冒険幽☆遊☆白書スラムダンクドラゴンボール電影少女……あたりが同世代。
このような名作長期連載で売り上げを伸ばしつつ、育成の少年ジャンプなので、新人さんの読み切りも時々載っていたわけです。それが作家さんごとにコミックス1巻分くらい溜まると、コミックス化することもしばしば。もちろん、そんなに溜まる前に消えてしまう作家さん、あるいは新連載にこぎ着ける作家さん、色々あったわけですが。
新連載が始められた作家さんの場合、その作品のコミックスを出すときに昔の読み切りも入れることがあります。読み切りで描いてみて読者の支持が得られた作品を練り直して連載にすることも多いのです。端的な例は『キャプテン翼』。実はまだまだ現役で続いているんですが(今は架空の五輪がスペインで開催中という設定で、金メダルを目指して闘っていますね)。あれのプロトタイプは高橋陽一先生のデビュー作(タイトル同じ)なのですよ。主人公は大空……ではなく、翼太郎くん、という。
ともかく、メガヒット作だけでなく、いろんな作品でわれわれ読者を楽しませてくれたのが当時のジャンプのもうひとつの側面なんですよね。本当にあの頃は、巻頭から巻末まで、読切も楽しかったです。とはいえ少年誌なので、少ーしばかり、生理的に受け付けない作品とかはありましたけど……まあ、それはそれで、好みだと思いますので。
そんな、ジャンプが咲かせた花々のひとつが岩泉舞先生の作品群。当時出版されたコミックスは、これ一冊しか出しておられない漫画家個人の読み切り集としては異例の重版を重ねたようです。
私も持っていました。ジャンプには珍しい、ジュブナイルファンタジーのような優しい作品群。一つ一つが個性的で、何度も読み返しました。なのでこの作家さんの作品はこの一冊だけなのに、何冊も持っているような気分でした。
そうそう、コミックス自体の存在感がすごかったんですよね。ほかよりぐっと分厚くて。通常、当時のジャンプコミックスは180ページで1冊というところでしたが、本作は210ページ強!
それでも当時、増刊号の予告に出ていた武論尊先生原作の作品やCOM COPの続編などは載っておらず、読みたくて仕方がなかった……。
かつての絶版本を電子書籍で復刊する『マンガ図書館Z』に掲載されたのを見つけた時は小躍りしました。
当時のコミックスの電子化なので、あの読めなかった作品は無いんですが、それでも懐かしくて。
そしてそして、今日。ほんの偶然から紙としても復刊、しかも未収録作品と新作まであると知ったわけで。
とりあえずダウンロード購入!
やっぱり暖かいなあと。そして、未収録作品群も新作も素晴らしかった。
絵柄が少しずつ変わっているのがまたよし。
ちなみに、私は『たとえ火の中…』は雑誌掲載時に読んでいるんですよ。たしかカラー扉裏面になる2ページ目は、黒ではなく青で印刷されていたはずです。珍しかったので覚えています。
旧作の絵柄は今見るとやや古めですが、新作はかなり現代の絵柄に。それでも空気感はやっぱりあの岩泉舞で。不思議な読後感でした。
彼女の作品を読んだことがない人も、一度読んでみて欲しいです。とりあえず、マンガ図書館Zでは無料で読めますので。COM COPの三作目などが気になったら購入を!
ウン度目の緊急事態宣言でうんざりしていた気分も吹っ飛ぶビッグニュースでした。生きててよかった!

ついに鬼岩城編へ…!

子どもの頃に好きだった漫画が、今の技術でアニメになると本当にすごい。
美少女戦士セーラームーン』しかり。
そして…『ダイの大冒険』しかり!
先週は今までの総集編でしたが、今回から新規展開へ。世界最強の剣を求めてロモスを後に、パプニカ、ランカークス、デルムリン島!
漫画では冒険感が面白かったところですが、アニメではテンポ重視。人の話から手がかりを見つけて先に進めるドラクエらしさと、アニメらしいスムースな流れの良さを合わせたような演出になっていました。
それにしても、これでブラスじいちゃんには最終盤まで会えないんかなぁ。いきなりやってきて、なんだか家探しし始めて、片付けもしないで飛び立たれてワケわからんかったでしょうけど、成長した孫の背中を見守る優しくて大きな瞳が印象的。ポップがルーラを使ったのにも、元々は旧魔王軍の幹部だったほどの人なので驚きはない様子でしたね。そういえば、漫画版ではここのシーンのダイをかなり初期ダイのタッチで描いてるんですよねぇ。世界最強の少年勇者も、大好きなじいちゃんの前ではただの子どもって感じであれも好きだったんですけどね。
さて、ダイのリメイクということで個人的に最大の楽しみの一つにしていたのが、この中盤の大きな山場、サミットと鬼岩城編! 国連軍と巨大怪獣が戦うようなものなのですよ、現実の世界*1で言えば!
実際、当時のコミックスのはしがきで読んだ記憶では、如何に迫力があって作画しやすい構図にするか特撮映画のような打ち合わせで大変だったらしいです。
それを、今の技術でどれだけ魅せてくれるか。どうしても漫画では止め絵になってしまうのは避けられませんから(もちろん読者の想像の中では動いてますが)動画としてどんな仕上がりになっていることか。これまでもアクションシーンでは本当にすごい作画を繰り出してきた『ダイ』スタッフ。もしや先週の総集編は、鬼岩城編により多くの作画コストをかけるための布石だったのでしょうか…!
この章だけでも映画館で観たいです! IMAX上等!
あー、子どもの頃の自分に教えてあげたいわ〜。大人になったら、鬼岩城もアニメになってるよって。今の子どもたちの間でも結構なブレイクぶりらしいってちょいちょい聞くので、うれしいところですね。子どもたちに受け入れられなかったら、私も最後の戦いまで見られませんからねぇ。つくづく番組がコケなくてよかったわ……。旧ダイは放送局の番組編成都合という、作品のクオリティや視聴率、玩具の売れ行きなどとは全く関係ない原因で理不尽に終了してしまったのですよね。
ともあれ、次週からいよいよ鬼岩城、動きます……! 生きててよかったっ!

*1:現実には怪獣はいないとか野暮ですわ?

差別のタネ

個人的な仮説だが、差別は社会に余裕がないときに生まれやすいんじゃないかと思う。戦争のときとかそうだったんだろう。
なんの話かと言えば、新型コロナ対策ワクチンを打った・打たないによるハラスメントや差別問題である。
いうまでもないことだが、新型コロナの問題が発生して以後、世界からいろんな意味での余裕が失われた。
歴史的に見ても、感染症の患者さんは差別を受けやすいのだが、新型コロナでもそうだったんじゃないだろうか。
仕事で(都内某大学でのITサポート)、授業用にお貸しした機材をお返しいただいた際、新型コロナの患者さんが触れてしまった可能性があるかもしれない、と、もし言われたら、自分は冷静に対応できるだろうか。
もちろん、エタノールでの機材クリーニングを綿密に行い、完了したら手指洗浄を丁寧に、当該機材は数日は貸し出さない……というようなセオリーは守る。それは差別ではなく単純に必要な作業である。
そうではなく、返却にこられた先生やTAさんに言われたときに、その方を変な眼で見ずに! 冷静に「消毒しておきます。授業お疲れ様でした」みたいな感じで、いつもの通りに。
新型インフルとか風邪とかなら、多分こんな感情にならなかった。しばらく前に大学生にハシカが流行して数日間休校になったときも、こんな気持ちは持たなかった。
新型コロナウイルスは、流行し始めてから長いし、インフルエンザのような季節性もない。感染し、発症したら本当に命に関わりうる。
返却品を受け付ける、という、日常の仕事でも、自分の中に差別意識と恐怖感はあるのだ。それは自覚しておきたいと思った。自分は聖人なんかじゃないから、無理に押し殺したり無くしたりは出来ないかもしれないけど、せめて、顔には出さないようにしたい。
今、飲食店を回している皆さんはそういう意味でも素晴らしいと思う。コロナ患者さんがお客様にいらっしゃるかもしれない、ということと背中合わせだ。店内で黙って食べてもらうにも限度があるし。エタノール消毒作業など、店の運営での作業がぐっと増えたりもしているだろうし。収支もキツいだろう。それでも笑顔で迎えてくれる。
お相手様のことを考えつつ、自分も守る。無理はしない。
きっとバランスが大事なんだろう。そうすれば、差別意識は起こさないでやっていけるのかもしれない。差別のタネがたとえ心の中にあったとしても、育てないようにすれば良いのだ。育てないにしても、それがあるということは自覚して。

不思議な楽器の体験談

以前アニメ化された影響もあって、時々『裏世界ピクニック』を読んでいる。
読みどころを挙げると長くなってしまうので触れないが、実話怪談と都市伝説の違いをこのシリーズで初めて知った。本当にあった話なのか、単なる噂話のようなものなのか、ということだろうか。たしかにこの差は大きい。
さて、以前からたまに書いているように、私は中学時代を吹奏楽部で過ごした。あの音楽室と楽器室には、トロンボーンに懸けた青春の想い出が詰まっている。そんなある日の、ちょっと不思議な体験談を、この機会に書いておこうと思う。
たしか、中学2年生の頃だったと思う。まだ一つ上の先輩は学校にいらっしゃった記憶があるし、かと言って部活に入りたての頃でもなかった。それと、可愛い後輩もいたはずなので。
うちの中学は、かなり昔から吹奏楽部が盛んだったらしい。楽器室にはもう使えない楽器が大量に保管されていたし、楽譜や教則本なども古いものも多かった。
そんな折、楽器室の改装工事が行われることになった。その際、不要な楽器を一気に処分することになった。
不用品の大整理が数日かけて行われた。今後も使う楽器や機器材は楽器室から運び出し、他の鍵のかかる教室へ移動した。そして楽器室には、もう錆びついて使えない金管楽器、キーが動かない木管楽器、使い所がない古いキャリングケースなどなど、学校の歴史の中で使われなくなった、かつての金賞時代を知る品々が山積みになった。
その上の方に、あのメロフォンがあった。
メロフォンというのは知っている人が少ないかもしれない。日本の現代吹奏楽ではあまり使われないと思うが、簡単に言うとホルンの仲間だ。ただ、音程を変えるレバー&ロータリーの部分が、トランペットのようにバルブ&ピストンを押し込む形状になっている。また、ホルンは左手でレバーを操作するが、メロフォンは右手側にバルブがある。

参考

私は吹いたことはないので、ホルンと比べて音が出やすいかどうかまでは分からないけれども、ともかく、うちの部活では当時のさらに数十年前までは現役だったんだろう。何台もあったメロフォンにも、ついにこの学校を去る時が来たというわけだ。長い間の保管の間に、指で押し込むバルブ部分は失われてしまっていた。……そのはずだった。
不用品整理がひと段落したある日の夕方。私は練習中に、ちょっとした忘れ物のため、久しぶりに楽器室へ向かった。
鍵を先生からお借りし、開いた。
夕暮れの楽器室は、しんと静かだった。
そして、楽器が山積みになっていた。
なんだかもったいない気もするな、と眺めていたら、奇妙なことに気がついた。
あのメロフォンのバルブ部分。何もないハズなのに、透明なもやのようなものが見えていた。それがちょうどバルブのTの字型になっているようだったのだ。
急いで、仲の良かったユーフォニアムの後輩の女の子を呼んで来た。見間違いではないかと思ったのだが……彼女にも見えるという。嘘をついたり、話を合わせている風ではなかった。
だいたいそんな嘘をついても仕方がない。彼女とは先輩後輩というより、楽器友達のような仲の良さだったので、お互い、言いたいことを言えたし、むしろ先輩である自分がしょっちゅういじられていた記憶もある。先輩のイエスマンのような子ではなかったので、もし、自分の見間違いだったら、これをネタにしてすぐいじってきたはずだからだ。
私は忘れ物を取り(自作の教則本だったと思う)、後輩と2人、不思議なこともあるんだなと言いながら、今度こそ楽器室を後にした。
あの山積みの楽器はその後、処分され、数ヶ月の改装工事の後、楽器室は生まれ変わった。温かみのある色のじゅうたんと防音ドアが入り、室内の壁の色も一新され、暗かった雰囲気が一気に明るくなった。
それはめでたいことではあったが、あの不思議なメロフォンをやはり忘れられない。
失われたバルブは自力で復活させるから、自分たちを捨てないで欲しい、という悲鳴のような、願いのようなものだったのではないか……と、今でも思えてならないのだ。
あの時、もしも思い切ってあの楽器を吹いていたら*1、透明なバルブを操作して何かの曲を演奏したら。『裏世界ピクニック』の鳥子のように、バルブを押す指先も透明になってしまっただろうか。まあ、そんなことは起きないだろうけれど、見間違いなどではなかった*2のは確かだ。

*1:トロンボーンにしろメロフォンにしろ、金管楽器は全て音を出すリップリードの仕組みは同じである。何か1種類が演奏できるようになれば、他の金管楽器でも音は出せるようになる。ただ良い音かは……センス次第?

*2:実はこの話、いつだったかバンドピープル誌の読者コーナーに投稿して採用された記憶がある。自分なりには立派な実話怪談だったりする。記録者も語るのも自分自身だけど。あの時に一緒に体験した後輩とは連絡の取りようもないが、当時の母校で楽器室の工事があったのは、調べればなにかしらの公的記録があるかと思う。

普通のスポーツの試合と五輪は違う

いろんな報道から、本当に五輪をやっちゃうみたいだ。この状況で。
プロ野球とかはやれてるからって。
だが。
普通のスポーツの試合と、五輪は違う。
日常的にあるプロ野球の試合では、運営はルーティン化されているし、チームごとの応援流儀とか、文化みたいなもの(観戦席のマナーなど)で、今までの蓄積で出来上がったものがある。
こうした不文律が、コロナ禍での試合の成立を支えているのは間違い無いだろう。
しかし、五輪では違う。
観戦に来るのは、必ずしもそのスポーツのファンだけではない。
五輪だからなんでもいいから見に来た、という人がかなりいるはずだ。
それに、最も異なるのはナショナリズムだ。なんだかんだいって、五輪のような大会では、ナショナリズムのぶつかり合いを避けて通れない。
だからこそ五輪は面白いとも言えるのだが、国の代表というプライドと意地のあまり、予期せぬトラブルが起きることもしばしばだ。要するに観客席でのケンカや、期待通りに活躍できなかった選手への罵倒などの問題だ。また、政治的に敵対する国同士がスポーツで闘う時、なんの問題もなく終われるだろうか?
それから、何度か書いてきた、東京の夏は殺人的であること。
元々、あまりにも暑すぎるから心配され続けてきたが、コロナ禍での開催となったせいで、コロナ対策ばかりがクローズアップされ、夏対策についての情報が少ないと思う。
スポーツの素人が観客で。
ナショナリズムがぶつかり合い。
殺人的に暑く。
まだまだ余談を許せない伝染病の流行下。
こんな状況でなぜやらなくてはならないんだろう?
どうしても成功させたいなら。
無観客試合
スポーツ精神、対戦相手の尊重を泥臭く訴え続ける。
夏開催を避けて秋にする。
国内のコロナワクチン2回接種率が70とか80%を超えたのを条件にする(秋にそこまで行けるかは不明だが、夏よりは普及しているだろう)。
これくらいのことは開催国として主張できるはずだ。
最近の大会では残念ながらテロの危険性もついて回る。都民は元々がテロの恐怖と、普段より混雑する鉄道に悩まされるのは確定していたわけだけど、これにさらにコロナ禍という悪条件が重なる。
必ずしも都民がみんな大会を歓迎しているわけではない。今の状況ではより批判的に捉えている人が増えただろう。
少し心配しているのは。
大会ボランティアの人が、五輪に苛立った人のストレスの捌け口のターゲットにされないか、という点だ。
ぶっちゃけ、殺人事件が起きないか。そこまで行かなくても、襲われたりしないか。
この状況で大会ボランティアをするような人は、おそらく優しい人が多いだろう。故に、悪意のある人からは格好のターゲットだ。大会ボランティアの人が悪いわけではないのに、スケープゴートにされ、なんらかのトラブルが起きないか。
それに、大会ボランティアになる人は、この状況で多くの人に会うことになる。大会の性格上、外国人であることもしばしばだろう。つまり、コロナのなんらかの海外株と触れてしまうことになるかもしれない。ワクチンは効くのだろうか? そんな状況で、どうやって安全を守るというのか。
繰り返すが。
こんな伝染病の世界的蔓延下では、本来、五輪はやるべきではない。
それなのに強行するなら、観客と運営側によほどの信頼性を担保できていないとダメだろう。つまり、東京都とJOCIOC、そして国だ。信頼できるだろうか?
世論から信頼されているとは必ずしも言い難い組織が、世情不安の中で世界で最も大規模な国際大会を運営する。
客観的に考えたら、今の東京がどれだけテロに狙われやすい状況なのか……恐ろしい。
そして、そうしたいざこざはあまり報道されないだろう。何しろ、先日のJOC内の自殺者の方のことさえ、NHKは未だに報道していないのだ。これは事実の封殺だ。
トラブルや現場の反感は封じられ、あくまでも大会は成功したというトーンをとるだろう。大会成功を願わない者は非国民だ、というような空気さえ生まれるだろう。
肌で感じる国民の実情をないがしろにして。

自分の身は自分で守れと。

ジジョキョウジョコウジョってやつが大好きな現政府の、実質的な無責任ぶりが透けて見える総理の記者会見だった。
ワクチン接種率が予想を上回る伸びとか言ってるけど、まだまだ打ててない人も多いし、今まではイージーモードだっただけ。この先はハードモードになって鈍化すると思う。理由は、今まではご高齢者中心。なんだかんだで比較的時間は作りやすい。現役世代は忙しいから、時間そのものを捻出するのが厳しいかと。1日、あるいは半日の休暇を取るだけでも大変な人がどれだけいることか。子どもが急な発熱で遅刻するとか欠勤するとかでも、どれだけ頭を下げることになるとか、そういうのを知らない人が言ってるんだろうなと思う。
人に会う機会が多い現役世代こそ、実は優先でワクチンを打つべきなんじゃないかとかも思った。もちろん、最も優先すべきは医療関係者なのだけど、高齢者の方で1日に何百人の人とすれ違うようなヒトがどれだけいるだろう。都内で普通に通勤していれば、誰でもそれくらいは毎日すれ違っている。対話はしないにせよ、呼気は浴びることになるのだ。
そういう人と、いつも家にいるような人を比べたら、どちらが感染者になりやすいだろうか。
若いからって重症者にならなくても充分すぎるほど重病になる病気だ、コロナは。味覚や嗅覚の障害が残ったら、仕事によっては続けられなくなるだろうし(シェフとか)。
結局、現政権の支持者は高齢世代が多いからこうなるんだろう。ワクチンを打つ順番ってだけで、政府から遠回しなトリアージを喰らっていることに気がついていない人が多すぎると思う。だいたい、去年の冬の国策の失策の責任を、国民が命懸けで取らされているのだ。こんな理不尽なことはない。この病気を国内に入れてしまったことで、余計に何人の人が亡くなった? 何社が潰された? ふざけるな。駅前のお気に入りのラーメン屋のあの味を返せ!
五輪パラは色々あって開催不可避なら、せめて秋まで延期すべきだと思う。国内にワクチンが普及するし、ただでさえ暑すぎて殺人的な都内の夏を回避することができる。それすら認めないIOCは何のつもりなんだろう。開催するのは東京都だ。負担するのは都民だ。今は見えない戦争中のようなものなのに。暑さとコロナでまた人が死ぬだろう。そうなっても誰も責任を取らないんだろう。因果関係の立証が無理だからという理由で。
正直なところ。自分が思う人としての正道とあまりにもかけ離れた政策ばかりで呆れ果てている。
ワクチンは提供する。でも、五輪テロとコロナのダブルの恐怖に怯える都民のケアは大して取らない。自分のことは自分で守れ。あとワクチンの影響で自分が死んでも責任は実質的に国は取らない(国内でワクチン注射後に亡くなられた方で因果関係が認められた例がないとのこと)。

そうなったら裁判でも起こすしかないんだろうか。この国の司法は時間がかかりすぎるのが常なのだが。
本当に、あまりにも無責任だ。あまりにも。

世界堂にて接着剤に執着する

昨日、帰りに世界堂に寄った。
目的は額縁……ではなく、画材……でもなく、接着剤。
スクリーントーン売り場が眩しい。ここと画材売り場のオーラには圧倒される。描ける人はすごいなあって。
さておき、世界堂。ここは何も画材ばっかりではなく、文具やファイル、そして接着剤などの工芸材料も色々あり。
探していたのはこれ。最近、コンビニでは別の商品にかわられてるけど、自分としては必需品。時々ふたが固まることがあるけどペンチで回せば開けられるし、目詰まりしてもゼムクリップを伸ばしたもので打開できる。その短所を補って、硬化が早くしっかり貼り付き、最後の一滴まで使えるし、アルミチューブ式のだと途中で破れて大変だけどそれもないから、仕事中はポーチに常駐。

それに、裁縫上手も売っていた。これもまた家では必需品。布類をガッチリ貼りたいときとか。ズボンの裾上げテープが剥がれてしまったときには本当に助かった。あと、家での在庫がまだあるから買わなかったけれど、以下の接着剤は陶器に金属パーツを貼る時に重宝している。陶器は液を吸収するみたいなので、少し多めに塗ることがコツかもしれない。さくらクレパスの「クラフト小町」は、木工用ボンド並みに塗りやすいので、塗った後に位置を調整したい接着作業で助かる。それから紙や木だけではない素材の守備範囲……。ともあれ、目的のものが見つかって良かったのだけど、豊富な接着剤をしばし眺めて、ふと思ってしまった。
この世界も瞬間的にピッタリ仲良くなれればいいのに……と。
世界堂だけに。